岡庭豊
人物・来歴
長野県木曽郡福島町(現・木曽町)出身[1]。1969年昭和大学医学部入学後、医学部2年生で「昭和大学学生新聞」を創刊。編集長として腕を揮った。医学部5年生では昭和大学の代表として「全国医学部交流会」組織結成に動いた。
1976年に大学卒業後、同大学医学部麻酔科学教室に入局[1]。麻酔科教室助手[2]。1977年には「全国医学部交流会」顧問として国試対策問題編集委員会を組織し、医師国家試験対策の問題集(通称PINK本)を編集した[1]。1979年に株式会社メディックメディアを設立。1981年に日本大学医学部大学院(病院管理学)を修了し、『イヤーノート』、『病気がみえる』などを生み出した[2]。
夢は「物心ついた頃から身近に医学とふれあうことができ、大人になる頃には誰でも医学生並みの知識が身についている世界」をつくること[2]。
脚注
- 『メディックメディア 30年の軌跡』メディックメディア、2010年。
- “Health 2.0 Asia - Japan”. 2021年11月19日閲覧。
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