岩本楼
沿革
古くは中の坊と称していたが、その後岩本坊・岩本院と改名した[1]。上の坊・下の坊と共に与願寺の別当を務めていたが、後に上の坊・下の坊を支配下に置き、総別当となる。
江戸時代中期以降、江の島は江戸から手軽に行ける観光地として栄え、岩本院も宿坊として栄えた。文久2年(1862年)初演の歌舞伎、青砥稿花紅彩画(白浪五人男)に登場する弁天小僧は岩本院の稚児をモデルにしたと言われている[2]。
1873年(明治6年)、神仏分離令により与願寺は廃され江島神社となり、岩本院も翌1874年に岩本楼と改名し旅館となった[2]。
施設
参考文献
- 間宮士信『大日本地誌大系. 第39巻 新編相模国風土記稿』 巻之百六、雄山閣出版、1884年、202-203頁。NDLJP:1179240/108。- 岩本院の項
- 山崎島 (2015年5月14日). “50代続く江の島の老舗旅館「岩本楼」に突撃!”. はまれぽ. 2018年2月19日閲覧。
外部リンク
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