岩鼻二子山古墳
岩鼻二子山古墳(いわはなふたごやまこふん)は、群馬県高崎市綿貫町にあった古墳。形状は前方後円墳。綿貫古墳群を構成した古墳の1つ。現在では墳丘は失われている。
| 岩鼻二子山古墳 | |
|---|---|
![]() 出土石棺 (手前に蓋、奥に身。東京国立博物館展示) | |
| 所属 | 綿貫古墳群 |
| 所在地 |
群馬県高崎市綿貫町 (高崎量子応用研究所内) |
| 位置 | 北緯36度18分3.54秒 東経139度4分40.20秒 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 規模 | (推定)墳丘長120m |
| 埋葬施設 | 刳抜式石棺 |
| 出土品 | 銅鏡ほか副葬品多数 |
| 築造時期 | 5世紀末 |
| 史跡 | なし |
| 特記事項 | 墳丘は非現存 |
| 地図 |
![]() 岩鼻二子山 古墳 |
概要
群馬県南部、井野川下流の右岸地域に築造された大型前方後円墳である。一帯では前方後円墳4基(綿貫観音山古墳・不動山古墳・普賢寺裏古墳・岩鼻二子山古墳(消滅))および円墳群が分布し、綿貫古墳群を構成する。1914年(大正3年)に旧陸軍岩鼻火薬製造所(現在は高崎量子応用研究所)の造成工事の際に削平されている[1]。
墳形は前方後円形で、前方部を南方向に向けた。墳丘周囲には盾形周濠が巡らされるほか、中堤・外濠の存在も推定される[1]。埋葬施設は砂岩製の刳抜式石棺で、棺身は長さ2.32メートル・幅0.92メートル・高さ0.545メートル、棺蓋は長さ2.47メートル・幅0.98メートル・高さ0.47メートルを測り、棺身には1対、棺蓋には2対の縄掛突起を付す[1]。副葬品としては五神四獣鏡・鍬先・鉄斧・鉄鉾・鉄剣2・鉄刀13・石製刀子11・石製品片1等が伝わる[1]。
築造時期は、古墳時代中期の5世紀末頃と推定される。綿貫古墳群は普賢寺裏古墳→不動山古墳→岩鼻二子山古墳→綿貫観音山古墳の順の築造と推定されており、一帯における5-6世紀代の有力豪族の存在を示唆する古墳の1つになる。
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 『新編高崎市史 資料編1 原始古代I』高崎市、1999年。
- 時枝務「失われた前方後円墳をめぐる近代史料 群馬県高崎市岩鼻二子山古墳の場合」『立正考古』第40号、立正大学考古学研究会、2000年、7-22頁。
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