岸信貞
生涯
織田信長の中濃攻略戦において、岸一族は堂洞城を守備していたとみられる。
兄信周と共に堂洞城攻城戦に参加。南・西方面を守備し必死の防戦に努めた。兄とその妻(桂院月丘浄香大姉)と共に18度もかけ合う[2]。信周とその妻が自刃した後も本丸にて防戦。
人物・子孫
脚注
- 富加町史通史編 岸氏系譜 202-203頁
- 「西、夕田口と南蜂屋口より織田信長軍丹羽長秀、川尻与兵衛、森可成三千人、北、加治田より佐藤紀伊守軍四隊に分かれて約一千人」
- 富加町史通史編 二堂洞合戦 198頁
- 信長公記
- 富加町史通史編 岸氏系譜 203頁、197頁「河尻秀隆・森可成の軍勢は、天守構へ乗り入り、続いて丹羽長秀も本丸に攻め込んだ。」
- 富加町史通史編 206頁
参考文献
- 堂洞軍記
- 信長公記
- 富加史
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