崔暹 (北斉)

崔 暹(さい せん、? - 559年)は、中国北魏末から北斉にかけての官僚政治家は季倫[1][2][3]本貫博陵郡安平県[1][2][4]

経歴

州主簿の崔穆の子として生まれた。若くして書生となり、渤海郡に避難して、高乾に従った。崔暹の妹が高乾の弟の高慎にとついだ。太昌元年(532年)、高慎が光州刺史となると、崔暹はその下で長史をつとめた。永熙2年(533年)、趙郡公高琛定州刺史となると、崔暹はその下で開府諮議となった。高琛に従って晋陽に赴き、高歓に面会すると、丞相長史を兼ねた。永熙3年(534年)、高歓が斛斯椿らを討つべく兵を率いて洛陽に入ると、崔暹は晋陽の留守を任された高琛を補佐した。後に左丞・吏部郎に転じ、「麟趾格」制定の議論を主導した[5][2][6]

武定初年、崔暹は御史中尉となり、畢義雲盧潜・宋欽道・李愔・崔瞻・杜蕤・嵆曄・酈伯偉・崔子武・李広らを御史に登用した。崔暹は前後して司馬子如や元羨・慕容献・咸陽王元坦・可朱渾元らに弾劾された。いずれも崔暹の免官を求め、死罪を要求する者も多かった。高歓は長年の親交を引き合いに出して崔暹をかばった。高歓が鄴都におもむくと、群官が迎えたが、高歓はとくに崔暹の手を握って慰労した。孝静帝が華林園で酒宴を開き、公平な人物を挙げるよう高歓に求めると、高歓は崔暹の名を挙げた[7][8][9]

武定5年(547年)、高歓が死去すると、崔暹は高澄により度支尚書に任用され、僕射を兼ねて、高澄の腹心として信任された。高澄は死刑を濫用する癖があったが、崔暹が諫めたため取りやめられた例も少なくなかった。東魏と南朝梁が通交するようになると、梁の武帝は崔暹が仏教経典を求めていることを聞いて、崔暹の館に届けさせた。崔暹は明蔵の『仏性論』に自分の名を署名して、江南に送らせた[10][11][12]

武定7年(549年)、高澄が死去し、高洋が後を嗣ぐと、司馬子如らが崔暹を再び糾弾した。また高隆之が寛容な政治を主張して、過酷な法官の代表とみなした崔暹の降格を求めたため、高洋はこれを聞き入れた。天保元年(550年)に北斉が建国されると、崔暹を告発する声がますます高まったため、文宣帝(高洋)は都督の陳山提らを派遣して崔暹の家を捜索させたが、その邸は質素なもので、高歓や高澄からの手紙1000枚あまりが押収されたのみであった。崔暹は馬城に流され、昼は土を背負って労役に服し、夜は地下牢に身を置かれた。1年あまりして、崔暹の反乱計画を告発する者が現れたため、鎖に繋がれて晋陽に連行されたが、無実が判明して釈放された[13][14][15]

まもなく太常卿として再び起用された。天保8年(557年)、尚書右僕射となった。天保10年(559年)、病没した。開府儀同三司・尚書左僕射・定州刺史の位を追贈された。は貞節といった[16][17][18]

子に崔達拏があり、学識のある温良な人物で、高澄の娘の楽安公主を妻に迎えた。若くして官職を歴任して司農卿となった。北周に入って、尉遅迥の反乱に参加して総管司馬となり、反乱が鎮圧されると処刑された[16][17][18]

脚注

  1. 氣賀澤 2021, p. 378.
  2. 北斉書 1972, p. 403.
  3. 北史 1974, p. 1187.
  4. 北史 1974, p. 1159.
  5. 氣賀澤 2021, p. 379.
  6. 北史 1974, pp. 1187–1188.
  7. 氣賀澤 2021, pp. 379–381.
  8. 北斉書 1972, pp. 404–405.
  9. 北史 1974, p. 1188.
  10. 氣賀澤 2021, p. 382.
  11. 北斉書 1972, p. 405.
  12. 北史 1974, p. 1189.
  13. 氣賀澤 2021, p. 383.
  14. 北斉書 1972, pp. 405–406.
  15. 北史 1974, p. 1190.
  16. 氣賀澤 2021, pp. 383–384.
  17. 北斉書 1972, p. 406.
  18. 北史 1974, pp. 1190–1191.

伝記資料

参考文献

  • 氣賀澤保規『中国史書入門 現代語訳北斉書』勉誠出版、2021年。ISBN 978-4-585-29612-6。
  • 『北斉書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00314-1。
  • 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4。
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