崔遠寿
経歴
日本統治時代の慶尚北道迎日郡(現・浦項市)出身。立命館大学予科を2年時に中退。1949年1月8日から1950年4月20日までは第3代迎日郡守を務め、そのほかに浦項新聞社社長を務めた[2]。1950年の第2代総選挙に迎日甲選挙区から無所属で出馬して当選し、最初の頃は民友会に所属したが、釜山政治波動の後に自由党に入党した[2]。
1987年にはソウル市江南区の大峙洞にて読書室を開業したが[3]、同年7月18日に慶尚北道蔚珍郡の自宅にて持病により死去。享年76[4]。
評価
『国会20年』によると、無口だが、謙遜していて温厚な人柄だと評価されている[2]。
その他
1950年代には族青派の一員として活躍したことで、当局からの弾圧を受けた[2]。
脚注
- “대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2024年2月11日閲覧。
- “자료일람 | 한국사데이터베이스”. 2024年2月11日閲覧。
- “前(전)의원 崔遠壽(최원수)씨 서울강남구에 書室(서실)개설”. 경향신문 (1987年4月17日). 2024年2月11日閲覧。
- “2代(대)의원 崔遠壽(최원수)씨”. 경향신문 (1987年7月20日). 2024年2月11日閲覧。
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