川勝広峯
川勝 広峯(かわかつ ひろみね)は、江戸時代中期の旗本。広恒流川勝家の6代当主。
凡例 川勝広峯 | |
|---|---|
| 時代 | 江戸時代中期 |
| 生誕 | 寛延2年(1749年) |
| 死没 | 寛政7年3月6日(1795年4月24日) |
| 別名 | 豊三郎、清三郎(通称) |
| 戒名 | 澄水(法名) |
| 墓所 | 東京都港区赤坂の法安寺 |
| 幕府 | 江戸幕府 旗本 |
| 主君 | 徳川家治→家斉 |
| 氏族 | 川勝氏 |
| 父母 |
父:川勝隆盛、母:戸川正方の娘 養父:川勝広豊 |
| 兄弟 |
隆忠、広豊、広峯、女子、 女子 |
| 妻 | 正室:谷轉衛の娘 |
| 子 |
川勝広土(養子。根岸定用の三男)、 女子 |
生涯
寛延2年(1749年)、川勝隆盛の三男として江戸に生まれ、後に実兄である川勝広豊の末期養子となった[1]。明和6年(1769年)6月6日、広豊の死去により家督(武蔵・下総・常陸内550石)を継ぎ、同年12月22日に初めて将軍徳川家治に拝謁した。
明和7年(1770年)3月4日、江戸城西の丸の書院番となった。安永元年(1772年)9月22日、職を辞し、寛政6年(1794年)4月24日に隠居した。
寛政7年(1795年)3月6日、47歳で没した。家督は養子の広土が継いだ。
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