川尻浩史

川尻 浩史(かわじり ひろし、本名「弘(ひろし)」[1][2]1946年昭和21年)[3][4] 4月19日[5][6][7][2] - )は日本の栃木県芳賀郡益子町益子焼陶芸家である。

窯元の名称は「風窯」[8]

同じく益子焼の陶芸家である「川尻製陶所」の川尻琢也の父親である。

経歴

生い立ち

1946年昭和21年)[3][4]4月19日[2]北海道[6][7]雨竜郡[4]妹背牛町に生まれる[9][5][1][4][8]

家は約12ヘクタールの田んぼを耕していた農家であった。しかし北海道立深川東高等学校を卒業後[9]に上京し、洋画家の夢[9]を実現すべく、立川市雪印乳業に勤めながら、一線美術会員であった巽邦夫に[9]絵画を学んでいた[1]。そして新気流美術協会にも所属していたという[9]

作陶の道へ

そしてそんな生活が2年間が過ぎたある日のこと。ある壺の絵を描いていたら、だんだんとその壺を作ってみたくなっていった[1]。こうして抽象画を学んでいた20歳前後の若者は、形のある陶器を作るべく、陶芸家を目指すために益子へと向かった[1]

1967年(昭和42年)[4]、益子にある須藤製陶所に入所[4][2][8]。須藤政雄に師事する[5]。陶工たちが轆轤を用いて作り上げる作陶の手業に目を見張りながら、轆轤の前に座り、土を相手にする毎日は楽しいものだった[1]

そして4年後の1971年(昭和46年)、益子の山間部にあった藁葺き屋根の農家の家を借りて築窯し独立した[1][7][4]。生活は必ずしも楽ではなく、半農半陶の生活も続いていたという[9]

そんな川尻に、知人から南米での陶芸関係の仕事の話が持ち上がった[1]

海外での作陶活動

南米での陶芸指導の仕事の主な訪問先はベネズエラペルーコロンビアだった。そして三角模様や渦巻きなどの幾何学模様の絵付けが主であるインディオの陶器から鮮烈な印象を受け、その後の川尻の作陶活動を左右し、その作風は慌ただしく揺れていった[1]

しかし貼り付けや炭化など、様々な作陶技法も経験していったが、「これは自分のやり方ではない」といつも感じていた。個性的な陶器の製作手法に触れていくうちに、逆に「個性が無いのが自分の個性である」と、「没個性な陶の美」を見出していった[1]

またこの頃には築窯師となっており、1980年(昭和55年)の夏には西ドイツ(当時)を訪問し登り窯を築窯した。英国以外の欧州の国々では登り窯自体が珍しいものであったため、益子焼を引っさげて西ドイツにやってきたヒゲの日本人は更に珍しかったため、地元の新聞などで報道され話題を呼んだという[1]

そして1982年(昭和57年)頃から窯は登り窯一つに絞るようになり[5][10]、益子の伝統的な釉薬を使い、肩肘を張らずに自然の赴くままに[5]、季節のサイクルで窯を焚くようになっていった[1]

1983年(昭和58年)8月13日、男の子が産まれた時に「琢也」と名付けた。「琢」の文字には「苦労して美しいものを作り上げる」という意味が込められていた[1]

試行錯誤しながら物事を切り開き根を下ろし、ひたむきな生活を送る「道産子の開拓精神」は、長男である川尻琢也と「川尻製陶所」に引き継がれていくことになる[1]

東日本大震災と「窯」の復興活動

2011年(平成23年)3月11日東日本大震災が発生した。この時、益子の店舗で販売されていた商品や、益子陶芸美術館や益子参考館に収められた収蔵品、窯元にあった完成品や製作途中の陶芸作品、そして登り窯を初めとした多くのが崩壊した。そして「風窯」と川尻製陶所の登り窯も被害に遭った[11]

陶芸を焼成するための登り窯を製作する「築窯師」でもあった浩史は[12]、まずは「風窯」と川尻製陶所の登り窯を修繕し[11]、それから東日本大震災で崩壊の被害に遭った会津本郷焼の窯元「宗像窯」の登り窯の修繕に協力[13][14][15][16][17]、また七輪で陶器の焼成を行う「七輪陶芸」の教室を開くなど、東日本大震災の復興活動を行った[18]

「ゲストハウス nobori」

震災復興活動と同時に、古くなった登り窯を取り壊して、登り窯だった資材を活用しながらDIYにより一軒家を建築。「ゲストハウス nobori」として運営している[19][20][21]

そして現在は陶芸家を引退し、細工場や登り窯は長男・琢也に譲り、建築業や庭師などの仕事に携わっている[21]

家族

子に陶芸家である両親の背中を見て育ち、「栃木県産業技術センター 窯業技術支援センター」伝習生を修了した後、沖縄県壺屋焼:やちむんの窯の一つである沖縄県読谷村読谷山焼 北窯の一人である與那原正守に師事。現在は益子町に戻り、登り窯で焼成し益子焼の作陶活動をしながら「life+tool 川尻製陶所」を営む川尻琢也がいる[22][23][24][25][26][27][28]

弟子

脚注

出典

  1. 下野新聞社 1984, p. 86-87.
  2. 栃木県文化協会 2007, p. 86.
  3. 黒田和哉,図鑑日本やきもの巡り 1988, p. 57.
  4. 黒田和哉,光芸出版,平成陶藝銘鑑 2001, p. 18.
  5. 光芸出版編集部,日本茶の湯茶碗図鑑 1988, p. 469.
  6. 光芸出版,現代陶芸作家事典 1980, p. 158.
  7. 最新現代陶芸作家事典,光芸出版 1987, p. 247.
  8. 風窯 - 益子焼の伝統を受け継ぐ登り窯の窯元 川尻浩史 作家紹介/陶歴
  9. 小寺平吉 1976, p. 93-97.
  10. 光芸出版,茶陶図鑑 1991, p. 224.
  11. [ましこのひとvol.2]薪を燃やして焼き上げる、登り窯の自然の風合いを大切に。|川尻製陶所 陶芸家の川尻琢也さん”. 益子町移住・定住ワンストップサイト|ましこの暮らし (2017年3月22日). 2023年7月28日閲覧。
  12. 川尻窯業
  13. 川尻窯業|登り窯の修繕方法 ~宗像窯編~
  14. 宗像窯公式ホームページ 宗像窯「登り窯再生プロジェクト」のお知らせ
  15. 会津本郷焼窯元 宗像利浩 | ふくしま人 | 福島 | NTT東日本
  16. 震災で倒壊の登窯 全国から支援、復旧へ 棚倉出身の大塚さん呼び掛け|震災・原発事故アーカイブ|福島民報
  17. 修復された登り窯(1) | 会津本郷焼窯元 宗像利浩 | ふくしま人 | 福島 | NTT東日本
  18. 川尻窯業|福島での活動 ~七輪陶芸~
  19. ADDress【公式】| ワーケーション・二拠点生活・多拠点生活プラットフォーム
  20. 新たに3拠点オープン!アクティビティに温泉に・・・一風変わったADDressの家”. ADDress Webマガジン (2019年12月30日). 2023年7月28日閲覧。
  21. 東京から一番近い陶芸の里・益子で過ごす〜職人親子と益子焼と田舎暮らし〜”. ADDress Webマガジン (2020年2月16日). 2023年7月28日閲覧。
  22. 川尻琢也(かわじり・たくや)/陶芸家(益子焼)”. 伝統サポーターズ (2016年2月9日). 2022年11月11日閲覧。
  23. 川尻製陶所| 作家・窯元・販売店紹介 | 益子WEB陶器市
  24. 「器は命を盛る道具」川尻製陶所さん”. ひだまり暮らし (2019年9月27日). 2022年11月11日閲覧。
  25. 益子 川尻製陶所 ~プレゼントにする器を求めて~”. 日々の贈り物(私の宇都宮生活) (2022年4月29日). 2022年11月11日閲覧。
  26. 『フォトとちぎ 2012 (春)』「陶芸家にプチ弟子入り」「益子焼体験と観光の長期ツアー」(益子町)P7 - 9(2012 とちぎ 12 - 17) - 国立国会図書館デジタルコレクション PDFファイルダウンロード、2024年2月13日閲覧。
  27. 川尻製陶所
  28. 川尻製陶所 Kawajiriseitoujo (@kawajiriseitoujo) - Instagram
  29. THE MUG 9人がつくるもの。 SOUVENIR FROM TOKYO | 国立新美術館のミュージアムショップ スーベニアフロムトーキョーです。2023年8月26日閲覧。
  30. 折笠秀樹の益子焼|Utsuwa Gallery 2023年8月26日閲覧。
  31. 折笠秀樹さんの十勝石シリーズのうつわが届きました。”. ろばの家 (2014年9月15日). 2023年8月26日閲覧。
  32. 折笠秀樹さんのうつわ”. か ま ご と (2018年10月21日). 2023年8月26日閲覧。
  33. 入荷案内:折笠秀樹”. @shop : うつわ屋Living&Tableware (2021年6月15日). 2023年8月26日閲覧。
  34. ミニ陶器市”. yukimichi|器と暮らしのもの、喫茶|北海道・小樽市張碓町 (2021年4月30日). 2023年8月26日閲覧。
  35. 栗原節夫|栗原窯 – 益子陶器市
  36. 栗原節夫| 作家・窯元・販売店紹介 | 益子WEB陶器市
  37. 丸善丸の内で益子焼展、大塚一弘、小林雄一、西山奈津ら7人”. 銀座新聞ニュース (2021年4月30日). 2023年8月1日閲覧。
  38. 栗原節夫 (@kurihara_gama) - Instagram

参考文献

  • 小寺平吉『益子の陶工たち』株式会社 學藝書林〈新装第一版〉、1976年6月15日、93-97頁。 NCID BN13972463国立国会図書館サーチR100000002-I000001346989-00, R100000001-I102538532-00, R100000002-I000001346989-00, R100000002-I000001474973-00
  • 光芸出版編集部 編『現代陶芸作家事典』株式会社 光芸出版、1980年7月25日、158頁。 NCID BN06606545国立国会図書館サーチR100000001-I005615292-00, R100000001-I112799884-00
  • 光芸出版編集部 編『現代陶芸 茶碗図鑑』株式会社 光芸出版、1983年8月1日、140頁。
  • 光芸出版編集部 編『最新 現代陶芸作家事典 作陶歴 技法と作風』株式会社光芸出版、1987年9月30日、38,247頁。ISBN 9784769400783。
  • 光芸出版編集部 編『日本茶の湯茶碗図鑑』株式会社 光芸出版、1988年8月20日、469頁。 NCID BN03215075国立国会図書館サーチR100000002-I000001941262-00
  • 下野新聞社『陶源境ましこ 益子の陶工 人と作品』1984年9月27日、86-87頁。 NCID BN1293471X国立国会図書館サーチR100000001-I076416373-00
  • 黒田和哉 著、光芸出版編集部 編『図鑑 日本やきもの巡り』株式会社 光芸出版、1988年12月30日、54,57頁。 NCID BN03854427国立国会図書館サーチR100000002-I000001961322-00, R100000001-I060597179-00, R100000001-I113673279-00
  • 光芸出版編集部 編『現代陶芸 茶陶図鑑』株式会社 光芸出版、1991年12月25日、224頁。ISBN 4769400950。
  • 黒田和哉,光芸出版編集部 編『平成陶藝銘鑑』株式会社 光芸出版、2001年9月10日、18頁。ISBN 9784769401124。
  • 栃木県文化協会 著、栃木県文化協会栃木県芸術名鑑編集委員会 編『栃木県芸術名鑑 2007 平成十九年版』栃木県文化協会、2007年2月10日、86頁。国立国会図書館サーチR100000002-I000008485466-00

外部リンク

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