左隊郡
概要
新を建てた王莽は、地名と官名をしきりと改めた。左隊郡は古く戦国時代に韓があったところで、秦が潁川郡を建て、漢が継承した[1]。
左隊への改称年は明記されないが、始建国元年(9年)かそれ以降の近い時期であろう。当時は他に右隊郡・前隊郡・後隊郡もあった。
始建国3年(11年)に定められた地域分担では大司徒の下に入った[2]
後漢が建てられると、潁川郡の称にもどされた。
脚注
- 班固『漢書』28巻、地理志第8上。ちくま学芸文庫『漢書』3の296頁。
- 班固『漢書』99巻中、王莽伝第69中。ちくま学芸文庫『漢書』8の399頁。
- 『後漢書』巻29、申屠剛鮑永郅惲列伝第19。
- 『漢書』巻99下、王莽伝第69。ちくま学芸文庫版『漢書』8の456頁。
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