庄野誠一
人物・来歴
東京・芝生まれ[1]。慶應義塾大学文学部仏文科中退[1]。水上瀧太郎に師事し1929年より『三田文学』等に創作を発表。その後、病気療養の期間があり、1941-1942年『文學界』編集長、戦時中養徳社東京支社長。1952年「この世のある限り」で芥川賞候補。その後三田文学会理事。長男は文藝春秋の編集者・庄野音比古。松本清張『砂の器』は庄野の代作ではないかと甥の水野忠興は書いている。[2]。
著書
- 『肥った紳士 短篇集』砂子屋書房 1938
- 『青年への窓』天理教道友社 1956
脚注
- 庄野 誠一とはコトバンク。2022年8月13日閲覧。
- 水野忠興『秋の蝉』
参考
- 芥川賞のすべて
- 『文學界』
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