廉褒
略歴
永始3年(紀元前14年)に金城太守から執金吾に移り、永始4年(紀元前13年)に右将軍となる。
綏和元年(紀元前8年)、男子に恵まれなかった成帝が皇太子を甥の定陶王(哀帝)と弟の中山王から選ぶ際、成帝は丞相・御史大夫・将軍に諮問した。廉褒は丞相翟方進・大司馬驃騎将軍王根らと共に定陶王を支持し、定陶王が皇太子に立てられた。しかしこの年、淳于長の事件に廉褒も連座し、罷免され庶人となった[3]。
脚注
- 『漢書』傅常鄭甘陳段伝の賛。
- 『後漢書』廉范伝。
- 『漢書』孔光伝。
参考文献
- 巻19下百官公卿表下、巻69趙充国辛慶忌伝、巻70傅常鄭甘陳段伝、巻81孔光伝
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.