張成
解説
元鼎6年(紀元前111年)に大農令[1]に任じられた。史書には大司農とも書かれるが[2]、太初元年(紀元前104年)に改名された同じ官職である。
その前年、元鼎5年(紀元前112年)に、漢は南越に侵攻、征服していた。任命と同年の元鼎6年(紀元前111年)に隣の閩越が漢を攻撃したとき、張成は兵を率いて国境地帯に駐屯していたが、戦いを避けて退いた[2]。それが畏懦(敵をおそれて戦わない罪)とされて誅殺された[2]。
脚注
- 『漢書』巻19下、百官公卿表第7下。
- 『漢書』巻95、西南夷両粤朝鮮伝第65、閩粤伝。ちくま学芸文庫版『漢書』8の35頁。
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