張有谷

張 有谷(ちょう ゆうこく / ヂァン・ヨウグゥ、张有谷)は、中華民国空軍軍人

張有谷
生誕 1905年11月17日[1]
貴州省平壩区
死没 1989年
中華人民共和国の旗 中華人民共和国陝西省西安市
所属組織 中華民国空軍
中国人民解放軍空軍
最終階級 空軍上校
除隊後 陝西省林業庁副庁長

経歴

1925年、雲南航空学校第1期卒業。卒業後も飛行教官として同校に留まり、12月に学生班班長[2]

1926年、国民革命軍の北伐に参加。1929年5月1日に南京航空司令部が創設された時には航空第1隊(隊長:高在田、副隊長:劉芳秀)飛行員であった[3]。5月21日に殉職した耿煜曾に代わり、水上飛機隊隊長に就任[4][5]。同年11月26日、軍政部航空署航空第2隊飛機師[6]。1929年7月、毛邦初張廷孟石曼牛らとともに中央軍官学校航空班(のちの空軍軍官学校)教官。

1930年5月6日、軍政部航空署航空第1隊隊長[7]中原大戦に参加し、大戦終結後は武漢に駐留した[8]。1931年6月3日、軍政部航空第7隊隊長[9]

1932年、航空隊は4個隊に縮小されることになり、航空第3隊の隊長となる[10]。1934年5月頃に航空隊が8個に増強されると、偵察兼爆撃隊である第3隊の隊長[11]。この間、1933年より翌年にかけての江西省第五次剿共作戦、1935年の川辺特別地区での対紅軍戦闘を支援[12]

1935年9月7日、空軍中校[13]

1936年10月16日に西安で空軍第6大隊が編成され、大隊長に就任[14]。第6大隊は偵察機大隊で、ダグラス製の航空機を使用していた[14]

1937年5月、航空委員会第一庁(庁長:周至柔)第一処(参謀処)処長[15]。9月7日、空軍上校[16]

1937年12月、成都太平寺に新設された空軍軍士学校の教育長となり[17]、校長の蔣介石に代わり校務を取り仕切っていた[17]南京戦後の1938年3月、航空委員会再編により、軍令庁(庁長:毛邦初)副庁長に就任[18][19]。1939年5月、航空委員会の再改編で軍令庁が廃止され、空軍軍官学校教育長に赴任[20]。しかし、12月12日に滑走路に停めていた練習機13機が日本軍の空爆で破壊されたことから、主任飛行教官の徐康良とともに重慶軍法執行總監部で軍法会議にかけられる[21]。徐はその間重慶の軍事監獄に拘留されたが、張は人事上の関係から監禁はされなかった[22]

1941年1月、軍政局長何応欽の計らいで無罪となり軍務に復帰、空軍第3路司令[23]。第3路司令部は河南省湖北省陝西省甘粛省四川省の一部地域の空軍部隊および機関を統括し、区域内に駐留している部隊の作戦を指揮した[24]

5月20日以降、余平想副大隊長に率いられた第5大隊のI-153 18機(うち1機は第4大隊)ほか軽爆撃機を成都から南鄭飛行場や近隣の成県飛行場・天水飛行場に避退させていたが[25]、この通信は日本海軍に傍受されており、また暗号電報も既に解読されていた[26]。24日、十二空は第1戦闘機隊の零戦9機(長:佐藤正夫大尉)、艦攻9機(長:駒形進也大尉)、天偵・誘偵各1機からなる南方隊、第2戦闘機隊(長:鈴木實大尉)の零戦11機と誘導の九八式陸上偵察機2機からなる北方隊を組み、襲撃を計画。26日朝、南鄭飛行場に南方隊の飛来の報を受け、南鄭の第5大隊のI-153 18機に蘭州の天水飛行場への移動を命じた。その際、電話が故障していたため、無線電話を使用したが[27]、天水飛行場も北方隊の攻撃目標であった。第5大隊は成県飛行場を経由して天水に向かっていた道中、鹽関上空にて天水に先回りしていたあと帰途についていた零戦隊と遭遇し、余平想機・張森義機の2機が撃墜される(日本側の記録では5機撃墜[28])。第5大隊が天水飛行場に到着すると、飛行場が「北西に敵機あり、着陸禁止」の陸空連絡符号を出していたため警戒態勢をとったが、間もなくして「着陸許可」の符号を下したため[29]、11:30に着陸を完了し燃料を補給。しかし、そこに引き返してきた零戦隊の空爆を受け第5大隊は18機全機を喪失。張は責任を問われ、天水航空站長・何禄生とともに再度逮捕される[21]。何応欽と毛邦初の尽力で釈放されるも、2度の逮捕で意気消沈し、空軍を去った[21]

国共内戦中の1948年5月11日、軍務に復帰し雲南省第10区行政督察専員兼区保安司令[30]。同年6月10日、空軍とは別の役職に任じているため、空軍の業務を停止[31]

1949年12月、昆明起義に参加[32]中国人民解放軍に加わり、牡丹江第7航空学校副校長[32]。1962年に退役[32]したのちは陝西省林業庁副庁長。

1989年、西安で病死[32]

栄典

  • 五等宝鼎勲章 1931年4月29日[33]
  • 四等宝鼎章 1936年1月1日[34]
  • 五等雲麾勲章 1936年11月12日[35]

出典

  1. 陸海空軍軍官佐任官名簿 Part3 (PDF) (中国語). 臺灣華文電子書庫. pp. 136. 2018年2月27日閲覧。
  2. 文 2006, p. 53.
  3. 馬 1994, p. 398.
  4. 盧 1974, p. 36.
  5. 馬 1994, p. 399.
  6. 国民政府広報第330号 (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2018年1月2日閲覧。
  7. 国民政府広報第462号 (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2018年1月2日閲覧。
  8. 盧 1974, p. 38.
  9. 国民政府広報第788号 (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2018年1月2日閲覧。
  10. 盧 1974, p. 45.
  11. 盧 1974, p. 62.
  12. 刘文辉与蔣介石的明争暗斗 (PDF) (中国語). 成都文史资料选编. 2018年10月9日閲覧。
  13. 国民政府広報第1840号 (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2018年1月2日閲覧。
  14. 盧 1974, p. 68.
  15. 馬 1994, p. 414.
  16. 国民政府広報第2452号 (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2018年1月2日閲覧。
  17. 盧 1974, p. 191.
  18. 盧 1974, p. 201.
  19. 馬 1994, p. 415.
  20. 盧 1974, p. 232.
  21. 口述歷史─楊鴻鼎將軍 (中国語). 鼎盛中华. 2018年1月17日閲覧。
  22. 第二大隊大隊長 徐康良 (中国語). 中國飛虎研究學會. 2019年8月9日閲覧。
  23. 空軍建校沿革史 (中国語). 中國飛虎研究學會. 2018年1月2日閲覧。
  24. 國防部史政編譯局 編印 (1985). 抗戰勝利四十週年論文集 上册. 國防部史政編譯局. pp. 292
  25. 12空機密第28号の13別冊 南鄭 天水攻撃戦闘詳報 第12航空隊 昭和16年5月26日”. JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14120716700、自昭和16年5月 至昭和16年5月 支那事変戦闘詳報(防衛省防衛研究所). 2020年3月18日閲覧。
  26. 鈴木實中佐のアルバムより~大石英男一空曹の低空撮影”. 写真家・ノンフィクション作家「神立尚紀(こうだち・なおき)」のブログ (2013年7月16日). 2013年8月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月18日閲覧。
  27. 朱 2015, p. 252.
  28. 特 行動12空の部”. JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14120538800、航空機搭乗員特別詮議査定便覧 支那事変 第2次(防衛省防衛研究所). 2020年3月18日閲覧。
  29. 朱 2015, p. 254.
  30. 国民政府令第3130号 (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2018年1月2日閲覧。
  31. 総統府広報第20号(民国37年6月11日) (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2017年1月2日閲覧。
  32. 张有谷 (中国語). 贵州影像博物馆. 2018年1月2日閲覧。
  33. 国民政府広報第760号(民国20年4月30日) (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2019年11月24日閲覧。
  34. 国民政府広報第1936号(民国25年1月1日) (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2021年11月12日閲覧。
  35. 国民政府広報第2201号(民国25年11月13日) (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2020年3月18日閲覧。

参考文献

  • 文闻 編 (2006). 旧中国空军秘档. 中国文史出版社
  • 马毓福編著 (1994). 1908-1949中国军事航空. 航空工业出版社
  • 盧克彰編著 (1974). 空軍建軍史話. 空軍總部政治作戰部
  • 朱力揚『1945請記得他們:中國空軍抗戰記憶』黎明文化事業公司、2015年。ISBN 978-957-16-0862-4。
軍職
先代
なし
空軍第6大隊長
初代:1936.10.16 - 1937.5
次代
陳棲霞
先代
沈徳燮
航空委員会第一処処長
第2代:1937.5 - 1937.12
次代
?
先代
なし
空軍軍士学校教育長
初代:1937.12 - 1938.3
次代
陳有維?
先代
周至柔
空軍軍官学校教育長
第2代:1939.5 - 1941.1
次代
王叔銘
先代
黄秉衡
空軍第3路司令官
第5代:1941.1 - 5?
次代
楊鶴霄
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