張琦 (画家)
略伝
曽鯨に師法[3]し肖像画を得意とし、嘉興では他に並ぶ者がいないと称賛された。波臣派の重鎮であるが伝世作品は少ない。
費隠通容に帰依し玉可張居士を名乗った。「費隠通容像」は承応3年(1654年)に隠元隆琦によって日本にもたらされ、黄檗画像の原点となった。その後、同門の楊道真などがその画法を日本に広めた。
脚注
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