後藤基平
来歴
後藤基平は、土佐藩士・堀田伊左衛門[1]の子として生れたが、美作後藤家の血統を継承していた土佐藩後藤家の本家当主・之基が後嗣を欠いていたため、母方の従弟であった基平が1649年2月6日(慶安元年12月25日)、之基の養子となり、藩主に御目見した。1660年(万治3年)、之基の死去により、その跡目高100石を相続した。1680年(延宝8年)、江戸勤番を命じられる。1682年(天和2年)、御献上御材木上乗を命じられ、大廻り船にて5月20日に出航し、江戸表へ赴いた。1685年9月16日(貞享2年8月18日)に病死した。以後この系統の子孫が、土佐藩後藤家の本家を継承した。幕末・大政奉還に功のあった後藤象二郎は、この家の分家当主にあたる[2]。
補注
- 堀田伊左衛門は、深尾因幡の嫡子。
- 後藤象二郎は、後藤之基の兄・後藤助右衛門家の当主にあたる。(兄・助右衛門が分家し、弟・後藤之基が本家を継承している)
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