徐賢妃
経歴
徐恵は、徐孝徳の娘として生まれた。生まれて5ヶ月で言葉を喋り、4歳で『論語』『毛詩』を暗誦し、8歳で文章を自在に書いたと伝えられる。太宗が彼女の評判を聞いて、召しだして才人とした。文章が美しかったので、婕妤に任じられ、さらに充容(嬪)に上った。
貞観末年、しばしば唐は四方に軍隊を出征させ、宮殿建築の事業を興し、百姓は労役に倦んでいた。徐恵は上疏して民衆を苦しめないよう太宗を諫めた。649年に太宗が世を去ると、徐恵は悲しみのあまり発病したが、進められた薬を受けつけず、650年に24歳で亡くなった。賢妃の位を追贈され、昭陵の石室に陪葬された。
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