日向大神宮
日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)は、京都市山科区にある神社。式内社(小)で、旧社格は村社。東海道・三条通沿いの神明山にあり、「京の伊勢」とも称される。
| 日向大神宮 | |
|---|---|
![]() 外宮 | |
| 所在地 | 京都府京都市山科区日ノ岡一切経谷町29 |
| 位置 | 北緯35度00分24秒 東経135度47分43秒 |
| 主祭神 |
内宮:天照大御神、多紀理毘賣命、市寸島比賣命、多岐都比賣命 外宮:天津彦火瓊々杵尊、天之御中主神 |
| 社格等 |
式内社(小) 旧村社 |
| 創建 | 顕宗天皇の治世 |
| 別名 | 京の伊勢 |
| 例祭 |
外宮:10月16日 内宮:10月17日 |

鳥居

外宮拝殿
歴史
社伝によれば、第23代顕宗天皇の治世に勅願により筑紫の日向にある高千穂の峯の神蹟より神霊を移して創建されたという。その後、天智天皇が神田を寄進して神域の山を日御山(ひのみやま)と名付けたという。
平安時代には、日向宮、日向神宮、粟田口神明宮、日岡神明宮とも称した。
「宇治郡名勝誌」、「京都府山科町誌」には、延喜式神名帳小社に列する「山城国宇治郡 日向神社」とするが、「山城名勝誌」、「山城志」、伴信友の「神名帳考証」では別のものとしている。
清和天皇より「日向宮」の勅額を賜ったほか、醍醐天皇により延喜の制で官幣社に列せられている。
応仁の乱で社殿等を焼失して祭祀が一旦途絶えたが、江戸時代初期に篤志家・松坂村の松井藤左衛門によって旧社地に再建され、後陽成天皇により「内宮」と「外宮」の御宸筆の勅額を賜っている。
慶長19年(1614年)には徳川家康により失われた社領も戻されている。
交通の要所・東海道の横にあることからか、交通祈願の神社として有名になった。
境内
本殿は、内宮(ないく)と外宮(げく)の二つある。
境内社
脚注
関連項目
外部リンク
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