志斐国守

志斐 国守(しい の くにもり)は、平安時代初期の貴族・陰陽師。氏は中臣志斐とも記される。姓は連。官位は従五位下・陰陽博士。

 
凡例
志斐国守
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
別名 氏:中臣志斐
官位 従五位下・陰陽博士
主君 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇
氏族 志斐連

経歴

桓武朝後半に陰陽博士を務め、延暦16年(797年)には長雨により平群山と高安山で山崩れが発生して人家が埋没したため、陰陽少属・菅原世道と共に両山に派遣されて鎮祭を行った[1]。

その後、外従五位下に叙せられ、平城朝では陰陽博士と天文博士を両方兼帯した。嵯峨朝の弘仁2年(811年)には、陰陽道において傍輩より優れていることを賞されて内位の従五位下に叙せられている。

官歴

『日本後紀』による。

脚注

  1. 『日本後紀』延暦16年7月3日条

参考文献

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