志登支石墓群
概要
本支石墓群は、糸島半島の付け根に広がる糸島平野を流れる瑞梅寺川左岸の沖積平野の微高地にある。 本支石墓群は、弥生時代前期~中期と推定されている。
糸島市内には、新町遺跡、志登神社遺跡、小田支石墓、曲り田遺跡、三雲加賀石遺跡、井田御子守支石墓、石ヶ崎支石墓、千里支石墓などが分布している。
発掘調査
志登地域でも、耕地整理事業に関連して、1953年(昭和28年)に短期間発掘調査が行われ、10基の支石墓と8基の甕棺が確認され、そのうち支石墓4基、甕棺墓8基が調査された。 支石墓の石材は、上石に花崗岩や玄武岩を使い、内部は石敷き、石囲い、土壙の三種があり、それぞれ1~3石の支石で南方式(碁盤形)である。また、甕棺墓は単式棺と合口式である。
副葬品
副葬品は、6・8号支石墓から、打製・磨製石鏃がそれぞれ4・6本が出土したのみで、貧弱な内容であった。
脚注
参考文献
- 橋口達也「志登支石墓群」/文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第2巻 原始2』同朋舎出版 1991年 ISBN 978-4-8104-0925-3
外部リンク
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