戯志才
生涯
世俗に背を向けた生き方をしていたが[1]、荀彧によって曹操に策謀の士として推挙される。曹操からもその才能を重んじられていたが、早逝した。
彼の死後、曹操は荀彧に「戯志才が亡くなり、計略を相談できる者がいなくなった。元より汝南・潁川は優れた人物の多い地だが、誰か彼の後を継げる者はいないだろうか」と手紙を送り、新たに荀彧の推挙を受けた郭嘉がその後を継いだ。
小説『三国志演義』には登場しない。
脚注
- 『三国志』魏書 荀彧伝注『荀彧別伝』
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.