戸田忠厚
生涯
武蔵国忍藩士の水谷右衛門の次男として生まれ、幕臣の戸田家に養子に入る。1874年(明治7年)に原女学校で開催された最初のクリスマス行事で、サンタクロースに扮したとされる[3]。1877年(明治10年)に奥野昌綱と一緒に洗礼を受ける。
1877年(明治10年)10月に日本基督一致教会が設立されると、その6日後に招聘を受けて下総大森(現・千葉県印西市)の下総大森教会に赴任する。1880年には長老に辞任を申し入れている[4]。
安川亨と共に、千葉県で伝道を始め、を創立する。戸田と安川の伝道により救われた渡辺伊十郎が、1882年(明治15年)に戸田を松尾の自宅に招いて集会を開いた。この集会で12名が洗礼を受けた。1883年11月1日のその家庭集会を九十九里教会とした[5]。
1882年(明治15年)に創立された日本基督一致教会高輪教会(現・日本基督教団)の初代牧師に就任する[6]。
1905年(明治38年)には石川県金沢市の日本基督殿町伝道教会(現・日本基督教団金沢元町教会)の牧師に就任して、1911年まで牧会する。同教会の牧師に就任したのは、1884年(明治16年)5月6日に実弟の加藤敏行(1855年(安政2年)4月8日生)が牧師として金沢の広坂通りで伝道中、2人の暴漢に木刀で襲われ、その傷が元で数ヶ月後殉教したからだという。
脚注
- 佐波亘 『植村正久と其の時代 第二巻』 教文館、1938年、505-516頁
- Dear Santa 002 サンタ・クロースが日本に 2013年3月27日閲覧
- 早川勇編『日本の英語辞書と編纂者』(春風社、2006年) 277頁
- クリスチャン新聞
- 守部2009,52-54頁
- 日本基督教団高輪教会HP 2013年3月28日閲覧
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