手子后神社 (神栖市)
手子后神社(てごさきじんじゃ)は、茨城県神栖市波崎にある神社。神遊社の古名があり、鹿島神宮末社に属した時期は天宮社と呼ばれていた。古い地誌は手子崎神社の表記を使っている。常陸原明神という俗称を記した観光地誌もある[1]。港町の鎮守であり、漁師の崇敬が厚い。旧社格は村社。
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本殿
| 手子后神社 | |
|---|---|
![]() | |
| 所在地 | 茨城県神栖市波崎8819 |
| 位置 | 北緯35度44分53.26秒 東経140度49分34.88秒 |
| 主祭神 | 手子比売命 |
| 社格等 | 旧村社 |
| 創建 | 神護景雲年間(767年-770年) |
| 別名 |
手子崎神社 天宮社、神遊社、常陸原明神 |
| 例祭 | 旧暦6月15日周辺土日(大潮祭) |
| 主な神事 | 鎮守祭(旧暦2月1日) |
| 地図 |
![]() 手子后神社 |
祭神
- 手子比売命
- 漁師の崇敬が厚く、鎮守祭(旧暦2月1日)には出漁を避けることで、この時期の時化から逃れてきたという。古くは初出漁船や遠隔地に出漁する漁船は、船出前に利根川の明神下で無事を祈った[2]。
- 鹿島志に、旧記に「神遊社」ともいい、「大神の御女の神」が祭神とある。
- 鹿島神宮伝記に、「本社の巽に当り、天宮社あり、手子妃と申し、大明神の女と申す」と記述がある(大日本地名辞書)。
- 新編常陸国誌は、祭神は鹿島神宮の御女ではなく、常陸国風土記の「海上の安是の嬢子」ではないかとする考察を付している。手子は女子の愛称であり、万葉集に真間の手児奈、石井の手児、左和多里の手児等の例があり、また地名とした例に、駿河の手児の呼坂や手子の浦(田子の浦)等を挙げている。
- 大日本地名辞書は、「海上の安是の嬢子」を祀る社であり、童子女の松原の遺称地であることは疑いないとしている。また童子女が松樹になったという部分は、その墓を意味すると考察している。
歴史
社伝では、古くより息栖神社・大洗磯前神社とともに「鹿島神宮の三摂社」と称されてきたとしている。元は鹿島神領に鎮座していたことから、その境外末社に属し、近世には大宮司以下が毎年鹿島神宮で祭典を行なっていた[6]。
大日本地名辞書は、近世に鹿島神宮末社に属したことを踏まえつつも、「近世何者か、是社の縁起を偽造して、息栖神と一体とし、其由来を注すれど、信用するに足らず」としている。現在はさらに大洗磯前神社が加わっているが、この括りは疑わしいとしている。
鹿島志、新編常陸国誌、大日本地名辞書等の地誌は、「手子崎神社」の表記を使っている。
明治維新後、近代社格制度で村社に列した。
主な祭事
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神輿殿
脚注
- 常山総水。常陸原は、旧波崎町あたりの近世の地名である(大日本地名辞書)。
- 境内案内板。
- 以下の大略及び訓は、標柱古風土記に依拠した。境内案内板は嬢子を「いらつめ」と読ませている。
- 大日本地名辞書は、「安是」を銚子口(銚子漁港)に比定している。
- 神栖市観光協会「童子女の松原公園」(神栖市波崎9591番地)。2017年3月6日閲覧。
- 茨城県神社写真帳。
- 茨城県観光物産協会「大潮祭(観光いばらき)」。2017年3月6日閲覧。
参考文献
- 神社案内板。
- 中山信名、栗田寛編「新編常陸国誌」。積善館。明治32-34年(1899-1901年)。
- 吉田東伍「大日本地名辞書 二版」。冨山房。明治40年10月17日(1907年)。
- 柳沢鶴吉編「常山総水名勝古蹟」。柳旦堂東京出張所。明治41年10月(1908年)。
- 栗田寛、藤蔵四郎補註「標註古風土記 : 常陸」。大岡山書店。昭和5年(1930年)。
- いはらき新聞「茨城県神社写真帳」。いはらき新聞社。昭和16年(1942年)。
- 上記の文献は、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。2017年3月6日閲覧。
外部リンク
- 手子后神社 - 公式サイト
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