押使
押使(おうし/すべつかい)は、使者の身分序列が高い場合、大使の上に置かれ、全体を統轄する官職。「押」は「惣(す)べる」という意味。
概要
大唐(もろこしに遣(つかは)す押使(すべつかひ)大綿上(だいきむじゃう)高向史玄理(たかむく の ふびと ぐゑんり)
とある。玄理は過去に推古天皇16年(608年)に遣隋使留学生として大陸に渡っており[1] 、大化2年(646年)には新羅に派遣され、任那の調の停止と新羅からの人質の交渉に成功しており[2] 、それらの実績を評価されたのであろう。この時の遣唐大使は河辺麻呂で、玄理は唐に滞在中に亡くなっている[3]。
『続日本紀』巻第七、元正天皇の霊亀2年8月(716年)には、
という例もある。県守は八色の姓最高位の真人姓を持ち、宣化天皇の血を引いている。なお、この時の遣唐副使は藤原宇合である[4]。
脚注
- 『日本書紀』推古天皇16年9月11日条
- 『日本書紀』孝徳天皇 大化2年9月条
- 『日本書紀』孝徳天皇 白雉5年2月条
- 『続日本紀』元正天皇 霊亀2年8月20日条
参考文献
関連項目
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