敷島神社 (志木市)
歴史
1872年(明治5年)に創建された。当地には元々「田子山の塚」と呼ばれる塚があった。江戸時代後期、高須庄吉は夢の中で田子山の塚に登るようにと言われた。そこでこの塚に登ったところ、ある石碑を発見した。その石碑は南北朝時代に富士山などの霊山を巡っていた「承海」という僧が造立した「逆修碑」と呼ばれる板碑であった。庄吉は富士信仰に篤かったこともあり、この塚を富士塚にすることを決意し、明治初期に造営工事に着手、1872年(明治5年)に完成し浅間神社を創建した[1]。
新設の神社であり、歴史も浅かったことから、近代社格制度においては「無格社」であった。ところが1907年(明治40年)の神社合祀により、周辺の3社が合祀された。その3社のうち、2社が村社だったことから、当社も村社となり、「敷島神社」に改称した。祭神が木花開耶姫大神であることから、国学の大家本居宣長が花を題材に詠んだ「敷島の大和心を人とはば朝日ににほふ山ざくら花」より、新神社の名称を定めた[1]。
文化財
- 田子山富士塚関連石造物(志木市指定文化財 令和2年3月26日指定)[2]
交通アクセス
- 路線バス富士道入口停留所より徒歩5分。
脚注
- 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉』埼玉県神社庁、1998年、532-535p
- 田子山富士塚関連石造物志木市
参考文献
- 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉』埼玉県神社庁、1998年
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