日本版DBS導入に関する議論

日本版DBS導入に関する議論では、イギリスのDBS(前歴開示および前歴者就業制限機構)同様の制度を日本に導入しようという動きについて述べる(2024年2月時点でこのような制度は日本に存在しない)。DBSとは、性犯罪歴の有無について明らかにする開示制度のことであり、イギリスでは、子どもと接する職場で働く人に性犯罪歴がないかどうかをDBSが確認している。子どもに関わる事業者が就業希望者の承諾を得てDBSに性犯罪歴などのチェックを依頼すると、DBSは裁判所や警察の情報などを照会する。そして就業希望者本人に証明書を発行し、事業者にも通知することで、性犯罪歴がある人の採用を未然に防ぐ。2023年10月現在、こうした仕組みを日本にも導入しようという機運が高まっている。

導入に向けた動き

2020年6月、コロナ禍により保育園が休園して自宅で保育をしていた家庭で、保育士のマッチングアプリを利用して雇ったベビーシッター(自称保育士)の男2人が保育中に子どもの体を触る強制わいせつ事件が発生したが、逮捕された2人は性犯罪を繰り返しており、この事件をきっかけに日本でDBSへの関心が高まった[1][2]。こども家庭庁で法律専門家のほか保護者の代表らが出席した有識者会議が設けられ、2023年9月に「こども関連業務従事者の性犯罪歴等確認の仕組みに関する有識者会議報告書」として報告書がとりまとめられた[1]。

報告書において、教育、保育等を提供する事業者は、業務従事者による子どもに対する性犯罪・性暴力を防止する責務を負っているとされる一方で、留意点として、職業選択の自由・営業の自由を制約することになるため、対象範囲を無限定に広げることは許されないこと、犯罪歴は要配慮個人情報(個人情報保護法2条3項)であり、漏洩すれば本人に重大な影響を及ぼすおそれがある上、仕組みに対する信頼を損なうため、対象事業者は、提供を受ける性犯罪歴等の情報を安全かつ適切に管理することができるものであるべきとしている[3]。

報告書によると、「性犯罪歴」には不同意わいせつ罪等のほか、痴漢行為や盗撮処罰法に該当する盗撮行為なども含まれる[4]。また、学校や認定こども園、保育所、児童福祉施設などは確認の義務を負う事業者とした一方、学習塾や予備校、スイミングスクール、芸能事務所など民間事業者は任意での利用となっている。

しかしながら、学校における働き方改革が進み分業を検討する教育現場と施設老朽化に直面する学校では、水泳の授業は民間への委託進が進み愛知県では公立小中学校の1割が委託を実施している[5]。

2023年10月に召集された第212回国会での法案提出も検討されたが、対象業務や期間について審議不十分として見送られた[6]。岸田文雄首相はジャニー喜多川による性加害問題に関連した代表質問において、法案について提出作業を急ぐよう指示する考えを示した[7]。

子ども家庭庁は2024年4月より、子どもへのわいせつ行為で資格登録が取り消された保育士の情報を記録したデータベースを導入するとし、自治体や保育施設が採用する際には、検索が義務づけられる予定と報道されている[8]。

署名活動

2023年9月、認定NPO法人フローレンスは8万筆超の署名をこども家庭庁の小倉將信こども政策担当大臣へ提出した。同法人は日本版DBSの対象を塾や習い事、無償ボランティアを含め、子どもに接するすべての仕事とすることを求め、8月10日より小児科医や産婦人科医と共同で署名活動を行った[9]。

国内の類似制度

2021年、議員立法として「教育職員等による児童生徒性暴力等の防止等に関する法律」が衆参両院の全会一致により成立し、2021年6月に公布された。これにより児童生徒にわいせつ行為をして懲戒免職となった教員に対し、失効した免許を再交付しない権限が都道府県教育委員会に与えられた。

同法の付帯決議(令和3年5月27日 参議院文教科学委員会)として次の事項が掲げられた。
「2、教育職員等以外の職員、部活動の外部コーチ、ベビーシッター、塾講師、高等専門学校の教育職員、放課後児童クラブの職員等の免許等を要しない職種についても、わいせつ行為を行った者が二度と児童生徒等と接する職種に就くことができないよう、児童生徒等に性的な被害を与えた者に係る照会制度が必要である。その検討に当たっては、イギリスで採用されている「DBS制度」も参考にして、教育職員等のみならず児童生徒等と日常的に接する職種や役割に就く場合には、採用等をする者が、公的機関に照会することにより、性犯罪の前科等がないことの証明を求める仕組みの検討を行うこと[10]。」

2018年、文部科学省は教員について、懲戒免職理由が明らかではない従来システムを改め、免許を失効した元教員の名前や生年月日、本籍地を調べられる検索システムを導入し、2021年には検索期間を過去5年分から40年分に拡大した[11]。さらに、都道府県教育委員会に氏名や処分理由の入力を義務付け、子どもにわいせつ行為をした教員の処分歴閲覧用データベースの作成を2022年度に着手する[12]。

有識者の見解

日本大学教授の末冨芳は、イギリスのDBSでは不起訴の場合でも通報歴でも引っかかると述べている。また、もし日本のDBSで痴漢が性犯罪の対象外になると、子供の権利擁護につながらないと指摘した[13]。また、わいせつ教員で処分される教員のうち約8、9割方が「条例違反レベル」であるため、条例違反すらDBSにのらないのであれば、処分された教員はDBSに搭載されないとの矛盾点について、教育現場で懸念されていることを述べている[14]。

立正大学教授の小宮信夫は、イギリスでは「犯罪機会論」に基づいて同制度が導入されたことに言及し、地方自治体に対して犯罪防止の必要性に配慮した施策を実施する義務を課していると述べている。小宮は、犯罪が起きる場所の3要素として「犯罪者」「被害者」「場所」の関係性に着目し、犯罪の機会を与えないことによって犯罪を未然に防止しようとする犯罪機会論の法制化が必要と指摘している[15]。

甲南大学名誉教授の園田寿弁護士は、子どもにわいせつした人は再犯率が本当に高いのか疑問を呈し、刑法上は10年経ったら前科は消滅することも同制度は相容れないと語る。子供関係の就労制限も憲法の基本的人権の制限となり合理的制約と言えるのか、前科情報を別の機関にうつして管理することが適切かと疑問を投げかけている[16][17]。

依存症回復施設で活動する精神保健福祉士の斉藤章佳は、日本版DBSの導入で何より子供を守ることが最優先であるとしている。治療プログラム参加者からも行動認知療法の観点から子供に加害者を近づかせないことは至極まっとうな制度であるとの声があり、同時に加害者も犯罪から自身を遠ざけるので守られる制度である見方もできるとの見解を示した。加害当事者である多くのプログラム受講者から賛同の声があったと述べている。加害者の人権と子供を守ることでは、優先すべきは子供であることは明白と自身の著作で語った[18]。更に、塾講師やインストラクターらによる加害行為は少なくない。可能な限り対象を広げるべきとし、また子どもへの性犯罪で、逮捕歴が2回以上の加害者の再犯率は、非常に高いとの見解を示している[19]。

ジャーナリストでジェンダー問題に詳しい治部れんげは、日本版DBSや性交同意年齢の引き上げの議論では加害者の更生や職業選択の自由の話など男性側の自由の話ばかり出てくると指摘する。性的同意年齢の議論で、立憲民主党・本多平直議員が性犯罪刑法の改正議論において、50歳近くの自身が14歳の子と性交したら、たとえ同意があっても逮捕されることに意を唱えるなどした騒動も示し、違和感があると語った[20]。

こども家庭庁などが「緊急対策パッケージ」としてこども・若者の性被害防止をとりまとめた会議に参加した評論家の荻上チキは、自身の10代での性被害について、自分で「性的いたずら」という言葉で自身の被害を小さく考えていた。その背景には性暴力自体を矮小化していたこと、男性の同性愛について笑いに変えるような雰囲気があったこと、性教育そのものが非常に不足をしていたことが重なっていたと取材に答えた。また、レクチャリングハラスメントと呼んでいる教育・部活など様々な場での指導の場面でのハラスメントは指導する・されるという関係自体が、権力関係にあるため一方的な加害行為が行われやすいと認識することが必要と語った[21]。

脚注

  1. “「日本版DBS」ってなに?~子どもを性被害からどう守るか” (2023年9月19日). 2023年10月29日閲覧。
  2. 中野円佳 (2020年6月12日). “キッズラインのシッター2人目、わいせつ容疑で逮捕 内閣府補助対象、コロナで休園中に母在宅勤務の隣室で”. yahoo news. 2023年10月29日閲覧。
  3. “報告書の概要” (2023年9月12日). 2023年10月29日閲覧。
  4. “「日本版DBS」有識者会議が報告書 一部盗撮・痴漢行為も対象”. 産経新聞 (2023年9月5日). 2023年10月30日閲覧。
  5. 松永佳伸 (2023年7月14日). “水泳の授業、民間への委託進む 公立小中学校で1割実施 愛知”. 朝日新聞. 2023年10月30日閲覧。
  6. “「性犯罪歴なし」確認する「日本版DBS」、法案の提出を見送り…少子化相「来年以降早い時期に」”. 読売新聞 (2023年10月16日). 2023年10月29日閲覧。
  7. “岸田首相「日本版DBS」導入法案 提出作業急ぐよう指示する考え”. 日テレ (2023年10月28日). 2023年10月30日閲覧。
  8. “わいせつ保育士情報をデータベース化、20年分記録へ…子どもに手を出した者の現場復帰防ぐ”. 読売新聞 (2024年1月25日). 2024年1月31日閲覧。
  9. “8万筆超の署名をこども家庭庁・小倉こども政策担当大臣へ提出!「日本版DBS」の対象を子どもと関わるすべての仕事へ!” (2023年9月1日). 2023年10月29日閲覧。
  10. “◎教育職員等による児童生徒性暴力等の防止等に関する法律(令和三年六月四日法律第五七号)(衆)”. 2023年11月3日閲覧。
  11. “<社説>わいせつ教員 再発防ぐ退場やむなし”. ABEMA Prime (2021年5月27日). 2021年10月16日閲覧。
  12. “わいせつ教員「再犯」防止、22年度からデータベース作成”. 日経新聞 (2021年10月22日). 2021年10月24日閲覧。
  13. “性犯罪歴を管理する“日本版DBS” 痴漢は対象外、民間事業者は任意に?……議論のポイントは「犯罪の線引き」「職業の範囲」” (2023年8月24日). 2023年10月30日閲覧。
  14. “子どもたちを性犯罪から守るために…「日本版DBS」の必要性と3つの論点”. FNNプライムオンライン (2023年10月26日). 2023年11月3日閲覧。
  15. 小宮信夫 (2023年10月17日). “犯人目線で見る世界 ダークサイドの社会学 性犯罪から子どもを守る新制度「日本版DBS」の致命的な盲点”. ニューズウィーク日本版. 2023年10月30日閲覧。
  16. “性犯罪歴確認「日本版DBS」の懸念、初犯に効果なく職業選択の自由を制限…園田寿弁護士が指摘”. 弁護士ドットコム (2023年9月12日). 2024年1月21日閲覧。
  17. “日本版DBSの議論で持つべき冷静な視点 専門家が指摘するブラックリスト化の危険性”. 朝日新聞GLOBE+ (2023年8月31日). 2024年1月21日閲覧。
  18. 子どもへの性加害 性的グルーミングとは何か 幻冬舎新書 2023年11月発行 斉藤章佳著 2024年1月21日閲覧
  19. 國府田英之 (2023-8-51). “なぜ学習塾やスポーツクラブは対象外? 性犯罪歴なしの証明求める日本版DBS 専門家の疑問”. AERA.com. 2024年1月28日閲覧。
  20. 福井しほ (2023年10月26日). “「ジュニアアイドル」経験者が語る 性的な不快感を言いづらい構造と性搾取を容認する空気感”. AERA.com. 2024年1月28日閲覧。
  21. 福井しほ (2023年8月2日). “「性的いたずら」という言葉で自身の被害を小さく考えていた…評論家・荻上チキさんに聞く【こども・若者の性被害をなくそう】”. 日テレNEWS. 2024年1月28日閲覧。

関連項目

外部リンク

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