日高己雄
日高 己雄(ひだか みお、1893年(明治26年)9月28日[1] - 1947年(昭和22年)4月17日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍法務少将。
| 日高 己雄 | |
|---|---|
| 生誕 |
1893年9月28日 |
| 死没 |
1947年4月17日(53歳没) |
| 所属組織 |
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| 軍歴 | 1942年 - 1945年 |
| 最終階級 |
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経歴
1893年(明治26年)に鹿児島県で生まれた[1]。1942年(昭和17年)4月1日に法務官が文官から武官に改められると陸軍法務少将となり[2]、台湾軍法務部長に就任した[1]。1943年(昭和18年)6月15日に南方軍法務部長兼第3航空軍法務部長としてシンガポールに出征[1][3]。1944年(昭和19年)6月14日免兼となり[2]、サイゴンで終戦を迎えた[4]。
終戦後戦犯としてイギリス軍に逮捕された[4]。容疑は昭南陸軍刑務所事件の責任を問われたと言われているが[4]、具体的な罪状ははっきりしていないという[5]。裁判では絞首刑の判決が下り[4]、1947年(昭和22年)4月17日にチャンギ刑務所で執行された[1][2][5]。
参考文献
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