時憲暦
時憲暦(じけんれき、満州語: ᠸᠣᠷᡤᠣᠨ ᡳ
ᠶᠠᠷᡤᡞᠶᠠᠨ
ᠲᠣᠨ、転写: forgon i yargiyan ton)は、明末清初に作られた中国暦の一つで、公式なものとしては中国で最後に使われた太陰太陽暦の暦法である。西洋天文学の成果を取り入れ、太陰太陽暦では初めて定気法が採用された。
解説
時憲暦は、ドイツ・ケルン出身のイエズス会宣教師アダム・シャール(湯若望)によって、清初に編纂されたものである。前段階として、明朝最後の皇帝・崇禎帝から、当時使用されていた大統暦よりももっと正確な暦を作るようにとの命を受け、徐光啓の主宰のもと複数人で『崇禎暦書』(すうていれきしょ、崇禎暦)を作成し、1634年に完成させていた。しかし改暦が実行されるより先に、1644年3月に李自成が北京を占領し、崇禎帝は自殺、明は滅亡した。直後に李自成軍を破って北京を占領した清は天文学に明るいシャールを重用し、同年10月に「時憲暦」として全国に公布された。また『崇禎暦書』が『西洋新法暦書』と改められて献上された。1646年、シャールは正式に国立天文台所長に任命された。
後に、乾隆帝の諱が「弘暦」であったため、中国では「暦」の字の使用を避けて時憲書(じけんしょ、満州語: ᡝᠷᡞᠨ
ᠸᠣᠷᡤᠣᠨ ᡳ
ᠲᠣᠨ ᡳ
ᠪᡞᠳᡥᡝ、転写: erin forgon i ton i bithe)と呼ぶようになった。
関連項目
- 天保暦 - 日本における最後の太陰太陽暦による暦法。
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