木和田安逵
生涯
土岐満貞の子として生まれる。兄には島田満名(島田氏の祖)がいる。母は不明。父の満貞は明徳2年/元中8年(1391年)の明徳の乱の際に「内野の合戦」において卑怯な行動をとったとして守護職を罷免されてしまい、以降尾張守護職は土岐氏の手から離れることになったという。その後の消息は不明であるが三河に逃れて、子孫は菅沼を名乗ったという[1]。
出典
- 『武家家伝』菅沼氏
- 『菅沼系図』
脚注
- “寛政重脩諸家譜. 第2輯 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年6月22日閲覧。
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