木村利右衛門
略歴

長男の重太郎(左端)は米国に留学し、のちに武藏野鉄道株式会社の取締役となった
明治大正期の貿易商。上総国(千葉県)望陀郡の豪農松崎儀兵衛の4男。生日には異説がある。養子として鈴木家、次いで木村家を継ぐ。岳父東作、養嗣子理左衛門。明治2(1869年)上京、4年横浜に移り、仲屋横浜店を開き繊維品取引で引取商としての地位を築く。
1880年(明治13年)横浜正金銀行(東京銀行)の設立に参画し取締役、1891年(明治24年)には生糸売込業も兼ねた。1892年(明治25年)横浜共同電燈会社(東京電力)、1896年(明治29年)横浜電線製造会社(古河電工)の社長となる。1902年(明治35年)補欠選挙で互選され、同年7月29日、貴族院多額納税者議員に任じられ[1][2]、翌年6月18日まで在任[3]。
横浜貿易商のなかでは一家言を持つ重鎮であった。著書に漢詩集『寧静詩鈔』がある。享年85。
脚注
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、11頁。
- 『官報』第5721号、明治35年7月30日。
- 『官報』第5988号、明治36年6月19日。
参考文献
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