本徳院
生涯
紀州藩の大番組頭竹本正長の娘として生まれる。母は竹本正時の娘。
正徳3年(1713年)に、当時紀州藩主であった吉宗の側室・お須磨の方が死去すると、古牟が須磨の又従姉妹であることから、家臣の間では吉宗の側室候補として挙げられた。しかし『徳川実紀』によると、古牟を訪ねた家臣が「枕席に侍らすべきさまにあらず」と心配するほどの醜女であったとされる。
古牟は赤坂の紀州藩邸に入って、正徳5年(1715年)に第2子の小次郎(後の田安徳川家初代当主・徳川宗武)を出産した。翌享保元年(1716年)、吉宗は将軍に就き、古牟も側室お梅の方と共に江戸城大奥に入った。
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