本部朝勇

本部 朝勇(もとぶ ちょうゆう、1865年(慶応元年)5月2日(旧暦) - 1928年(昭和3年)3月21日)は、琉球王国末期に生まれた琉球王族であり、本部御殿手古武術の第11代宗家である。弟に空手家琉球唐手)として名高い本部朝基が、直弟子には上原清吉(本部御殿手)、兼島信助(渡山流)、千歳剛直(千唐流)、次男の本部朝茂などがいる。

本部朝勇

経歴

生い立ち

本部朝勇は、1865年(慶応元年)、本部御殿の当主・本部按司(アジ)朝真の長男として、首里赤平村(現・那覇市首里赤平町)に生まれた[1]。あだ名は、その高貴な血筋から「本部の御前(ウメー)」(御前は按司につく尊称)と称された[2]。御殿とは王族の邸宅を意味し、同時にそこに住む王族の尊称であった。本部御殿は尚質王1629年 - 1668年)の第六王子、唐名・尚弘信、本部王子朝平(1655年 - 1687年)を元祖とする琉球王族であり、国王家の分家として、日本の世襲親王家に相当する地位にあった。また、本部御殿は、代々本部間切(現・本部町)を領する大名であり、琉球王国最大の名家の一つであった[2]

武歴

本部朝勇は、幼少の頃より本部御殿手を父・朝真より学び[3]、また首里手松村宗棍糸洲安恒らをその邸宅に招いて唐手を学んだ[4]。糸洲が本部御殿で唐手を教え始めたのは1881年(明治14年)からなので、朝勇16歳の時からということになる。初めて唐手を師事するにはやや高い年齢なので、父や松村に師事したのは、それ以前の幼少の頃から10代の頃であったと推定される。おそらく武芸の幅をさらに広げる目的で、当時すでに高名であった糸洲を招聘したのであろう。ほかにも安里安恒、佐久間にも師事したという[5]。朝勇は、文武両道に優れ、武術以外にも琉歌琉球舞踊にも優れた教養人であった[2]

1889年(明治22年)頃、本部朝勇は屋部憲通、本部朝基らとともに、泊手の大家・松茂良興作にも師事した[6]。若手の武術家としてその武名は広く知られ「本部の蹴り」とまで異名ととるようになる。屋部とともに、松茂良宅へ出かけ、松茂良の力量を試した逸話も伝えられている[7]。また、弟の本部朝基が糸洲だけには飽き足らず、松村や佐久間にも師事するようになったのは、当初、組手で兄・朝勇にかなわなかったことが理由とされる[8]。弟の朝基が剛拳である唐手の雄として後年名を成したのに対して、朝勇は当時の著名な諸大家をその邸宅に招いては、唐手のほかに、取手術、剣術馬術など、幅広い武術を網羅的に修行していた[9]

晩年

1918年(大正7年)3月、本部朝勇は沖縄師範学校に招聘され、「ショーチン(ソーチン)」の型を演武した[10]。また1923年(大正12年)、1924年(大正13年)頃、那覇に沖縄唐手研究倶楽部を設立して会長に就任した[11]。この倶楽部は、唐手の共同研究を目的として設立されたもので、当時の沖縄の唐手の諸大家が多数参加していた。ここでは、若手の摩文仁賢和宮城長順らが裏方として活躍し、本部は会長として、若手に助言を与えていた。本部はその身分に敬意を表して、参加者から「按司加那志御前(アジガナシメー)」(按司の尊称)と呼ばれていた。

また1924年(大正13年)には、大正劇場(那覇)で開催された唐手大演武大会に出演して、祖堅方範喜屋武朝徳らと共に演武した[12]。この大会は、総勢40名が参加する盛大なものであった。本部朝勇は蹴り技に優れ、「本部の足(ひさ)」、「本部御前の蹴り(きりち)」と讃えられた。琉球武術(沖縄武術)の発展に尽力し、1928年(昭和3年)3月21日に没した[13]

脚注

  1. 財団法人沖縄県文化振興会公文書館管理部史料編集室『沖縄県史 資料編8 近代2 自由移民名簿 自一九〇八(明治四十一)年 至一九二十(大正九)年』沖縄県教育委員会, 1999年、767頁。
  2. 高宮城 2008, p. 539.
  3. 上原 1992, p. 19.
  4. 本部 1932, pp. 20, 21.
  5. 大家 1951, p. 22.
  6. “武士・本部朝基翁に「実戦談」を聴く!”. 琉球新報. (1936年11月10日). https://www.motobu-ryu.org/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E6%8B%B3%E6%B3%95/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E6%9C%9D%E5%9F%BA%E7%BF%81%E3%81%AB%E5%AE%9F%E6%88%A6%E8%AB%87%E3%82%92%E8%81%B4%E3%81%8F/ 2022年8月17日閲覧。
  7. 長嶺 1986, p. 72.
  8. 本部 1932, p. 21.
  9. 上原 1992, p. 22.
  10. 「唐手の達人達」『琉球新報』、1918年3月21日。
  11. 上地完英, ed (1977). 上地流空手道協会. p. 773
  12. 外間 2001, p. 38.
  13. 本部朝勇先生”. 本部御殿手古武術協会. 2022年8月17日閲覧。

参考文献

  • 上原, 清吉『武の舞 琉球王家秘伝武術「本部御殿手」』BABジャパン出版局、1992年。ISBN 4894221845。
  • 本部, 朝基『私の唐手術』東京唐手普及会、1932年。
  • 高宮城, 繁、新里, 勝彦、仲本, 政博『沖縄空手古武道事典』柏書房、2008年。ISBN 978-4-7601-3369-7。
  • 大家, 礼吉『図解説明 空手道入門』文雅堂書店、1951年。
  • 長嶺, 将真『史実と口伝による沖縄の空手・角力名人伝』新人物往来社、1986年。ISBN 4404013493。
  • 外間, 哲弘『空手道歴史年表』沖縄図書センター、2001年。ISBN 4896148894。
  • 摩文仁賢和・仲宗根源和『空手道入門―攻防拳法』(復刻版)榕樹社 ISBN 4947667311

関連項目

外部リンク

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