朱士行
生涯
潁川郡の出身。3世紀中期に、魏の都であった洛陽に曇柯迦羅が来朝し、出家修道の儀礼を整えた。その際に、中国人で最初に出家受戒したのが朱士行である。
その後、士行は『道行般若経』を講経していたが、その訳経の不十分なことによって、意味が理解できない箇所を発見した。そのため完本を中国に将来する必要性を痛感し、西域への求法の旅に出ることを決意した。
260年、雍州を出立し、于闐(ホータン)にまで到達した。そこで、「二万五千頌般若経」(Pañcaviṃśatisāhasrikā-prajñāpāramitā sutra)の原典を得ることができ、弟子の弗如檀に命じて中国に将来させた。
291年、竺叔蘭がその般若経を漢訳し、『放光般若経』と名づけた。一方、士行の方は、遂に帰郷することなく、于闐にて亡くなった。
脚注
- 読みは蒲田茂雄『新中国仏教史』大東出版社、2001年7月11日、ISBN:978-4-500-00667-0、p24による。
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