朴顯俊

朴 顯俊パク・ヒョンジュン: 박현준, 1986年9月22日 - )は、大韓民国全羅北道全州市出身のプロ野球選手投手)。右投右打。

朴 顯俊
Park Hyun-jun
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 全羅北道全州市
生年月日 (1986-09-22) 1986年9月22日(37歳)
身長
体重
185 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2009年 2次ドラフト1巡目
初出場 2009年4月4日
最終出場 2011年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

韓国プロ野球における勝負操作に関与していたとして2012年4月18日に韓国野球委員会から永久除名処分を科された。

経歴

慶熙大学校を経て2009年KBOドラフトSKワイバーンズの2次1巡目指名を受け、入団した。2009年のシーズン開幕戦にも登板した。

2010年7月28日にSKがLGツインズとの間で4対3のトレードを成立させ、尹耀涉らとともにLGへ移籍する事になった。同年10月30日の第17回インターコンチネンタルカップの決勝戦の対日本戦では完投勝利を収めた。

2011年は投手陣が不足していたLGの先発ローテーションの一角を占め、チーム最多の13(11)を挙げた。

2012年2月に金聖賢と共に勝負操作に関与した疑いがある選手として浮上した。3月2日に大邱地検に出廷して約8時間の調査を受け、2011年8月に2回にわたって勝負操作を行い、1試合あたり200〜300万ウォンを受け取った容疑を認めた[1]。3月6日に金聖賢と共にLGから放出された[2]。4月18日に大邱地裁公判を開き、金聖賢と朴顯俊に懲役6か月と執行猶予2年と120時間の社会奉仕活動命令の判決を下して実刑は免れ、追徴金には金聖賢に700万ウォン、朴顯俊と500万ウォンを宣告した[3]。同日に2人は韓国野球委員会(KBO)から永久除名処分を科された[4]。なお、KBOと相互協定を結んでいるMLBNPBCPBLなどの他国のプロ野球リーグでも同様の処分が課されており、KBOの許可無しでプレーすることは不可能になっている。その後どの国のプロ野球リーグにも所属していないが、2016年に韓国プロ野球で再び勝負操作事件が発覚したのを受け、2017年1月13日、韓国プロ野球の新人オリエンテーションで講演し、新人選手たちに不正に加担しないよう呼びかけた。

2019年よりリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルモンテレイ・サルタンズと契約しようとしたが、KBOと協定を結んでいないにもかかわらずMLBと協定を結んでいるリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル側が身分照会を求めたところ、永久除名処分のためKBOが認可できず契約できなかった。

プレースタイル

林昌勇に近い腕の位置から152km/hの速球を投げ、サイドスローには珍しく高速で「滝のように落ちる」と形容されるほどの落差の大きいフォークボールを武器としていた。クイックモーションも平均1.15秒・最速1.08秒と速く、盗塁を試みるのは難しいと評されていた[5]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2009 SK 1400000100.0008417.0211102272014115.821.82
2010 820000000----478.21119121000111010.382.31
LG 1290002300.40021649.04981807365134325.881.37
'10計 20110002300.40026357.26092719465145426.551.51
2011 2926000131000.565711163.215313681111374188764.181.35
通算:3年 6339000151400.5171058238.1234231054221901121471294.871.42

背番号

  • 17 (2009年 - 2010年途中)
  • 11 (2010年途中 - 2011年)

脚注

  1. LG 박현준 경기조작 혐의 일부 시인 (韓国語). ソウル新聞. 2013年8月28日閲覧。
  2. 팬 여러분께 진심으로 사과 드립니다. (韓国語). LGツインズ公式. 2013年10月20日閲覧。
  3. '경기조작' 박현준-김성현, 집행유예 2년에 사회봉사 120시간 명령 (韓国語). 亜州経済. 2013年8月28日閲覧。
  4. '경기조작' 박현준·김성현 영구실격 처분 (韓国語). 聯合ニュース. 2013年8月28日閲覧。
  5. 트레이드가 박현준 살렸지…SK에 있었어봐 어휴 (韓国語). 東亜日報. 2013年10月21日閲覧。

外部リンク

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