李元忠

李 元忠(り げんちゅう、486年 - 545年)は、北魏から東魏にかけての官僚軍人本貫趙郡柏人県[1][2][3]李瑾の従弟。

経歴

北魏の安州刺史の李顕甫(李霊の子の李恢の子)の子として生まれた。父の平棘子の爵位を継いだ。清河王元懌司空となると、元忠は召されて士曹参軍となった。元懌が太尉に転じると、元忠は長流参軍となった。元懌が後に太傅となるとまもなく、営構明堂大都督となり、元懌の下で主簿となった。母の喪にあって辞職した。安楽王元鑑が府司馬となるよう要請してきたが、元忠は喪中を理由に固辞して受けなかった[1][2][3]

永安元年(528年)、南趙郡太守に任じられたが、酒びたりで治績を挙げることがなかった。永安3年(530年)、爾朱兆洛陽に入り、孝荘帝が幽死すると、元忠は官を棄てて家に帰った。普泰元年(531年)、高歓河北に進出すると、元忠はこれを迎えた。露車に乗り、箏と濁酒を抱えて高歓と面会し、軍政の策を進言すると、高歓に気に入られた。6月、元忠は人々を集めて西山で爾朱羽生を捕らえて斬った。そこで行殷州事に任じられた[4][5][6]。8月、爾朱兆が兵2万を率いて井陘に進出し、殷州を攻め落とすと、元忠は城を棄てて信都に逃げ帰った[7][8][9][10]中興元年(同年)、中軍将軍・衛尉卿となった。中興2年(532年)、太常卿・殷州大中正に転じた。後に従兄の李瑾が年長であるという理由で、中正の位を譲った。まもなく征南将軍を加えられた。孝武帝が高歓の長女を皇后に迎えるため、元忠と尚書令元羅晋陽に迎えに行かせた。高歓と元忠は面会すると、宴席でふざけあった。高皇后を送ったとき、元忠は晋沢で落馬して重傷を負い、一時は危篤に陥った。高歓は元忠を親しく見舞い、晋陽県伯に封じた。後に小さな過失で官を失った。ときに朝廷の人々は分裂の危機に猜疑しあった。斛斯椿らは、元忠が世俗の利益に対して淡泊で、世事に長けていなかったので、無害な人物とみなして利用しようとした。そこで中書令として返り咲いた[11][5][12]

天平元年(534年)、東魏が建てられると、太常となった。後に驃騎将軍を加えられた。天平4年(537年)、使持節・光州刺史に任じられた。光州は災害のため食糧が足りなかったので、元忠は上表して貸しつけのための食糧を求め、秋を待って回収しようとした。1万石を用立てて、元忠は万石給人と呼ばれたが、一家あたり1升1斗給されるだけで、虚名のみの実効性のない政策であった。そこで結局15万石を放出することとなった。元忠は不首尾を上に報告して陳謝したが、朝廷は責めなかった。興和4年(542年)、侍中に任じられた[13][14][15]

元忠は大任をまかされても、懐に金は持たず、常に酒に酔っていた。家政や家事には関心を持たず、庭の中の種や果実を薬として、連日の宴会や音楽の演奏を楽しんだ。武定元年(543年)、東徐州刺史に任じられたが、固辞して受けなかった。そこで驃騎大将軍・儀同三司の位を受けた。高澄にもその見識を嘉されて重んじられた。ときに孫騰司馬子如が元忠のもとを訪れたが、樹の下に座って酒を飲み、庭も家屋も荒れ果てていた。その妻を呼び出すと、衣が地を曳かない姿であった。二公は嘆息して去り、大量の米や絹の衣服を贈ったが、元忠は受けとったものを人に分け与えてしまった。武定3年(545年)、本官のまま衛尉卿を領知した。その年のうちに60歳で死去した。使持節・都督定冀殷幽四州諸軍事・大将軍司徒定州刺史の位を追贈され、を敬恵といった[16][17][18]

子の李搔(字は徳況)が後を嗣ぎ、河内郡太守・尚書儀曹郎を歴任した[19][20][21]

脚注

  1. 氣賀澤 2021, p. 311.
  2. 北斉書 1972, p. 313.
  3. 北史 1974, p. 1202.
  4. 氣賀澤 2021, p. 312.
  5. 北斉書 1972, p. 314.
  6. 北史 1974, pp. 1202–1203.
  7. 魏書 1974, p. 277.
  8. 氣賀澤 2021, p. 23.
  9. 北斉書 1972, p. 7.
  10. 北史 1974, p. 215.
  11. 氣賀澤 2021, pp. 312–313.
  12. 北史 1974, p. 1203.
  13. 氣賀澤 2021, pp. 313–314.
  14. 北斉書 1972, pp. 314–315.
  15. 北史 1974, pp. 1203–1204.
  16. 氣賀澤 2021, pp. 314–315.
  17. 北斉書 1972, p. 315.
  18. 北史 1974, p. 1204.
  19. 氣賀澤 2021, p. 315.
  20. 北斉書 1972, pp. 315–316.
  21. 北史 1974, p. 1205.

伝記資料

参考文献

  • 氣賀澤保規『中国史書入門 現代語訳北斉書』勉誠出版、2021年。ISBN 978-4-585-29612-6。
  • 『北斉書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00314-1。
  • 『魏書』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00313-3。
  • 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4。
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