李存進
生涯
武功に加え、管理能力にも優れた。
初め、嵐州刺史の湯群に従った。湯群が誅殺されると、孫重進は李克用に投じて仮子となり、李存進と改名した。李克用に従って、軍功により石州刺史を任された。その後、李存勗に従って、歩軍右都検校司空、邠州刺史、慈沁二州刺史に進んだ。天祐12年(915年)、天雄軍を接収した際に、天雄軍都巡按使に任じられ、新軍の動揺をうまく抑えて威服させた。天祐14年(917年)、蕃漢馬歩副総管に進んだ。
天祐16年(919年)、振武軍節度使を兼ねた。天祐19年(922年)、張文礼の乱で招討使の李嗣昭が戦死した後、李存進は後任の招討使となった。同年7月、東垣渡で待ち伏せに遭い、戦死した。
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