李淑妃
生涯
明の初年に戦死した広武衛指揮官の李傑の娘である。
明の洪武17年(1384年)、淑妃に封ぜられ、後宮のことをつかさどった。しかしまもなく亡くなった。外史によると、洪武帝の疑いと不信を買い、迫られて自ら縊死した。
なお洪武帝(朱元璋)の太子朱標・次子朱樉・三子朱棡は洪武帝正妻の馬皇后の子とされているが、生みの親は淑妃であると考えられている[2]。
伝記資料
脚注
- 李傑の生年(1331年)による。
- 荷見 2016, p. 13.
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