李端
略歴
若い頃は廬山に住み、釈皎然について学んだ。大暦5年(770年)、進士に及第、校書郎となったが、多病の為辞任して、終南山の草堂寺に住んだ。その後、杭州司馬に任ぜられたが、俗務を好まず、ついに衡山に移住し、衡岳幽人と称して隠者の生活を送った。大暦十才子の一人。
現在『李端詩集』三巻が残っている。
詩人としての彼
作品に、『送劉侍郎(劉侍郎を送る)』(七言絶句)がある。
| 送劉侍郎 | |
| 幾人同入謝宣城 | 幾人か同(とも)に入(い)る 謝宣城(しゃせんじょう、謝朓) |
| 未及酬恩隔死生 | 未だ恩に酬(むく)ゆるに及ばずして死生を隔つ |
| 唯有夜猿知客恨 | 唯(た)だ夜猿(やえん)の客恨(かくこん)を知る有り |
| 嶧陽渓路第三声 | 嶧陽(えきよう)渓路(けいろ) 第三声 |
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