条約改正日誌
概要
「外国人司法官任用問題」も参照
大隈重信は井上馨外相辞任後の第1次伊藤内閣の外相、つづいて黒田内閣の外務大臣に任じられ、とくに首相黒田清隆からは条約改正交渉を一任されていた。
「条約改正日誌」は、大隈外相の秘書官兼政務課長として改正条約案の立案や外国公使との会見交渉にあたった加藤高明(1860年-1926年)が自らの活動を記した日誌であり[1]、黒田内閣成立後の1888年(明治21年)11月26日から大隈重信遭難事件[注釈 1]のあった1889年(明治22年)10月18日までについて記録されている[1][2]。大隈外相時代の条約改正交渉の詳細が知られる重要な史料である。
脚注
注釈
外部リンク
- 「条約改正日誌」外務大臣秘書官加藤高明(早稲田大学図書館古典籍総合データベース)
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