東條英機の遺言

東條英機の遺言(とうじょうひできのゆいごん)といわれるものは複数存在する。ひとつは1945年昭和20年)9月3日の日付で書かれた長男へ向けてのものである。他は自殺未遂までに書いたとされるものと、東京裁判での死刑判決後に刑が執行されるまでに書いたとされるものである。

家族に宛てたもの

以下は長男英隆に宛てたものである。これは1945年9月3日。すなわち日本側代表団が連合国に対する降伏文書に調印した翌日に書かれたものである。東條の直筆の遺言はこれの他、妻勝子や次男輝雄など親族にあてたものが複数存在する。

昭和二十年九月三日予め認む
一、父は茲に大義のため自決す、
二、既に申聞けあるを以て特に申し残すことなきも、
1、祖先に祭祀を絶やせざること、墓地の管理を怠る可らず
2、母に遠隔しつるを以て間接ながら孝養を尽せ
3、何なりとも働を立派に御奉公を全うすべし
4、子供等を立派に育て御国の為になる様なものにせよ
三、万事伊東に在る三浦氏に相談し援助を求むべし

処刑を前にした時のもの

以下は処刑前に花山信勝教誨師に対して口頭で伝えたものである。書かれた時期は判決を受けた1948年(昭和23年)11月12日から刑が執行された12月24日未明までの間とされる。花山は、聞いたことを後で書いたので必ずしも正確なものではない、と述べている。

開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。今回の処刑は個人的には慰められるところがあるが、国内的の自分の責任は、死を持って償えるものではない。しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。ただ、同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。天皇陛下および国民に対して深くお詫びする。

東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。インドの判事には尊敬の念を禁じえない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。

現在の日本を事実上統治する米国人に一言する。どうか日本人の米国に対する心持を離れざるように願いたい。また、日本人が赤化しないように頼む。米国の指導者は大きな失敗を犯した。日本という赤化の防壁を破壊した。いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。米英はこれを救済する責任を負っている。

戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。

我ゆくも またこの土に 帰りこん 国に報ゆる事の足らねば東条英機大将 遺言(部分)昭和23年12月22日夜 東京巣鴨(23日零時刑執行)

逮捕前に書かれたとされるもの

以下は1945年9月11日に連合国に逮捕される前に書かれたとされるもの、《英米諸国人ニ告グ》、《日本同胞国民諸君》、《日本青年諸君ニ告グ》の3通を現代語にしたものである。

《英米諸国人に告げる》
今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。この深刻な事実は私も固より、これを認めるにやぶさかではない。しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、正理公道による勝利ではない。私は今ここに、諸君に向かって事実を列挙していく時間はない。しかし諸君がもし、虚心坦懐で公平な眼差しをもって最近の歴史的推移を観察するなら、その思い半ばに過ぎるものがあるのではないだろうか。我れ等はただ微力であったために正理公道を蹂躙されたのであると痛嘆するだけである。いかに戦争は手段を選ばないものであるといっても、原子爆弾を使用して無辜の老若男女数万人もしくは数十万人を一挙に殺戮するようなことを敢えて行ったことに対して、あまりにも暴虐非道であると言わなければならない。
もし諸般の行いを最後に終えることがなければ、世界はさらに第三第四第五といった世界戦争を引き起こし、人類を絶滅に至らしめることなければ止むことがなくなるであろう。
諸君はすべからく一大猛省し、自らを顧みて天地の大道に恥じることないよう努めよ。
《日本同胞国民諸君》
今はただ、承詔必謹する〔伴注:終戦の詔を何があっても大切に受け止める〕だけである。私も何も言う言葉がない。
ただ、大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、私は国家の生存と国民の自衛のため、止むを得ず受けてたっただけのことである。この経緯は昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔に特筆大書されているとおりであり、太陽の輝きのように明白である。ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。不幸にして我が国は力不足のために彼の国に敗けたけれども、正理公議は厳として我が国にあるということは動かすことのできないことである。
力の強弱を、正邪善悪の基準にしては絶対にいけない。人が多ければ天に勝ち、天が定まれば人を破るということは、天道の法則である。諸君にあっては、大国民であるという誇りを持ち、天が定まる日を待ちつづけていただきたい。日本は神国である。永久不滅の国家である。皇祖皇宗の神霊は畏れ多くも我々を照らし出して見ておられるのである。
諸君、願わくば、自暴自棄となることなく、喪神落胆することなく、皇国の命運を確信し、精進努力することによってこの一大困難を克服し、もって天日復明の時が来ることを待たれんことを。
《日本青年諸君に告げる。》
《日本青年諸君各位》
我が日本は神国である。この国の最後の望みはただ諸君一人一人の頭上にある。私は諸君が隠忍自重し、どのような努力をも怠らずに気を養い、胆を練り、現在の状況に対処することを祈ってやまない。
現在、皇国は不幸にして悲嘆の底に陥っている。しかしこれは力の多少や強弱の問題であって、正義公道は始終一貫して我が国にあるということは少しも疑いを入れない。
また、幾百万の同胞がこの戦争のために国家に殉じたが、彼らの英魂毅魄〔伴注:美しく強い魂魄〕は、必ず永遠にこの国家の鎮護となることであろう。殉国の烈士は、決して犬死したものではない。諸君、ねがわくば大和民族たる自信と誇りをしっかり持ち、日本三千年来の国史の導きに従い、また忠勇義烈なる先輩の遺旨を追い、もって皇運をいつまでも扶翼せんことを。これこそがまことに私の最後の願いである。思うに、今後は、強者に拝跪し、世間におもねり、おかしな理屈や邪説におもねり、雷同する者どもが少なからず発生するであろう。しかし諸君にあっては日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。
真骨頂とは何か。忠君愛国の日本精神。これだけである。

のちに東條についての著書を著したロバート・ビュートーは、東條を逮捕するために訪れたMP一行のひとり、ウィルパーズ中尉が東條自決直後に東條の机にあった文書と前日の1945年9月10日付の「最後声明」を押収したが、GHQによる英訳があるものの、日本語の現物は行方不明だとしている[1]

東京裁判で東條の弁護人を務めた清瀬一郎は、《英米諸国人ニ告グ》、《日本同胞国民諸君》、《日本青年諸君ニ告グ》がロバート・ビュートーが言及した「最後の声明」に当たり、信用すべき人から、文意は東條のもの、文飾は「当時日本言論文筆および史学界の最長老某氏の添削を経たもの」との証言を得たとしている[2]

この遺書は1952年(昭和27年)の『中央公論』5月号にUP通信のE・ホーブライト記者が東條の側近だった陸軍大佐からもらったものであるとの触れ込みで発表されたものである。この遺書は、東京裁判で鈴木貞一の補佐弁護人を務めた戒能通孝から「東條的無責任論」として批判を受けた(戒能の評は同誌に遺書と同時に掲載された)。

保阪正康は、『東條英機と天皇の時代』(初版1979年)では、徳富蘇峰の添削を経た東條の遺書としている[3]。しかし保阪はのちの著書『昭和良識派の研究』では、東條の口述を受けて筆記したとされる陸軍大佐二人について本人にも直接取材し、この遺書が東條のものではなく、東條が雑談で話したものをまとめ、米国の日本がまた戦前のような国家になるという危惧を「東條」の名を使うことで強めようとしたものではないかと疑問を抱いている[4]。徳富は9月に東条から遺言書作成の依頼があったと書いている。[5]

脚注

  1. ロバート・J・ビュートー『東條英機(下)』第14章 名誉の失われし時(215-245頁)時事通信社 1961年
  2. 清瀬一郎『秘録 東京裁判』中公文庫 30ページ
  3. 『東條英機と天皇の時代』ちくま文庫580頁
  4. 『昭和良識派の研究』保阪正康 光人社FN文庫 1997年 56頁
  5. 『徳富蘇峰終戦後日記』徳富蘇峰 講談社 2015年 386頁

関連項目

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