松下芳三郎
経歴
生い立ち
鳥取県西伯郡法勝寺村落合[1](のち西伯町、現南部町)出身。松下澤次郎の長男[2]。赤貧洗うがごとき[3]家庭で、米子中学校への進学は、松下の英才を見抜いた精山校長などの強いすすめと励ましによって実現した[1]。
学生時代
1910年(明治43年)3月、鳥取県立米子中学校(現在の鳥取県立米子東高等学校)を卒業して東京高等師範学校に進んだ[4]が、高師を中退して京都帝国大学法科大学政治科に入る[4]。1915年(大正4年)、大学卒業とともに高等文官試験に合格[4]。
人物像
星一(星製薬の設立者、星薬科大学の創立者)の粗製モルヒネ製造販売に関連して、検察官長や検察官に仕組まれ台北南警察署長から悪人に作り上げられる。
陸軍少将杵村久蔵は松下の親友であった。
千葉県立白井高等学校教諭松下哲哉は孫である。
文献
脚注
- 『勝田ヶ丘の人物誌』176頁
- 猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)キ・七七頁
- 「赤貧洗うが如し」 - きわめて貧(まず)しく、洗い流したように何もないさま。
- 『勝田ヶ丘の人物誌』177頁
- 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。
- 『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。
- 『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。
- 國史館臺灣文獻館
- 臺灣文献館
- 國史館臺灣文獻館
- 成功大學學位論文全文系統
- 南華大學博碩士論文全文系統
- 東洋文庫
外部リンク
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