松井房吉
人物
明治初期に三重県桑名市の医者、加藤勘兵衞の次男として生まれる[1]。松井家に養子に出され松井姓になる。日本橋蛎殻町で丸三商店(現丸三証券)創業者の一人である川北徳三郎のもとで相場を修業し、川北とともに日本橋兜町に進出する。兜町で5人の仲間と匿名組合を設立して、株取引の仲介業務を始め、1918年5月10日他の5人から権利を買い取り松井房吉商店を創業。兜町では「売りの房吉」と恐れられ、第一次世界大戦後の1920年3月15日の株価大暴落で、兜町でただ一人大儲けをし、巨万の富を築く。その後は、大相場を張らなくなり、金、ダイヤ、国債、南満州鉄道などの国策会社の株券を買ったが、戦争で国に供出したり、敗戦で価値が無くなるなどして、自宅・自社ビル以外のほぼ全ての財産を失う。1949年息子の武に会社を譲り、翌年死去。
略歴
信条
- 勝つまでやる。勝ったらやめる
- 国を信用するな
- 「もう」は「まだ」なり、「まだ」は「もう」なり
- 耐えて、耐えて、耐え抜く。忍耐だけが相場だ
関連項目
脚注
- “松井房吉 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2021年5月13日閲覧。
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