松山神社 (松山市)
| 松山神社 | |
|---|---|
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| 所在地 | 愛媛県松山市祝谷東町640 |
| 位置 | 北緯33度51分24.1秒 東経132度47分00.2秒 |
| 主祭神 | 徳川家康公、菅原道真公 |
| 社格等 | 旧村社 |
| 創建 | 明和2年(1765年)3月 |
| 本殿の様式 | 権現造 |
| 別名 | 東照宮 |
| 例祭 |
春季例大祭(4月24日) 秋季例大祭(10月6日) |
| 主な神事 | 初天神祭(1月25日) |

神紋(丸に三つ葉葵)
由緒
- 元和4年(1618年)、松山藩主加藤嘉明が、湯月八幡宮(伊佐爾波神社)の境内に社を建て、徳川家康を祀った。
- 明和2年(1765年)3月、8代藩主松平定静は、湯月八幡宮の社を、天台宗常信寺(現在地)に移した。
- 明和4年(1767年)、定静は、徳川家康の150回神忌法要を行うため、東照宮造営を命じた。
- 明和5年(1768年)、仮宮が完成し、定静臨席のもと、家康150回神忌の法要が執り行われた。また、常信寺の塔頭のひとつである広厳院が別当寺となった。
- 文化12年(1815年)、 11代藩主松平定通(御用掛代拝)のもと、家康神忌200年大祭。常信寺へ家康神像を勧請した。
- 元治2年(1865年)、 13代藩主松平勝成臨席のもと、家康神忌250年大祭。社殿を再造営した(現存の社殿)。
- 明治元年(1868年)、神仏分離令により、常信寺より分離した。この頃、広厳院も廃絶する。また、東照宮は久松松平家の所有となる。
- 明治中期、久松家より、祝谷村の鎮守にするようにと、村へ譲渡された。
- 明治43年(1910年)12月、祝谷の御幸寺山麓より祝谷天満宮を合祀、松山神社と改称した。
祝谷天満宮は、菅原道真が、延喜元年(901年)、左遷の途中に祝谷の山崎の丘に立ち寄った際に、里人に文を教えたとされたことにより、太宰府天満宮から道真の心霊を勧請し造営。天満宮の別当寺は真言宗円盛寺であった。
その他
10月6日に例大祭が行われ、10月7日には、子供による奴踊りがあり、続いて大人・子供神輿の宮出しがある。
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