松浦定 (相神浦松浦氏14代目)

松浦 定(まつら さだむ)は、室町時代から戦国時代にかけての武将。肥前国大智庵城主。

 
凡例
松浦定
時代 室町時代 - 戦国時代
生誕 文安3年(1446年)
死没 延徳4年/明応元年(1492年)
官位 丹後守(受領名)
氏族 松浦氏
父母 父:松浦盛
子 政、佐世保諌

父・松浦盛が没すると松浦氏嫡流・相神浦松浦氏の家督を継いだ。 延徳2年(1490年)、瀬戸越に教法寺を建立し、新たに大智庵城を築いて、武辺城より居城を移す。同3年(1491年)、有馬貴純の誘いを受け、貴純や大村純伊、佐志氏らと共に、平戸松浦氏を継いだ松浦弘定の拠る箕坪城を攻撃した(箕坪合戦)。同4年/明応元年(1492年)、死去。

箕坪合戦で敗れた弘定は平戸から逃れ大内義興へ支援を求めた。義興の仲介で弘定は旧領を回復することができたが、相神浦松浦氏に対して深い恨みを抱き、後年、弘定は定の嫡男・政を滅ぼしている。

出典

  • 『肥前松浦一族』(外山幹夫著 新人物往来社)
  • 『松浦家世伝』
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