林健造

林 健造(はやし けんぞう、1943年5月21日 - )は、京都府京都市東山区出身の元プロ野球選手内野手外野手)。

林 健造
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府京都市東山区
生年月日 (1943-05-21) 1943年5月21日(80歳)
身長
体重
176 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手 外野手
プロ入り 1962年
初出場 1962年9月30日
最終出場 1973年10月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴

プロ入り前

平安高では2年次の1960年捕手右翼手として春夏の甲子園に出場。春の選抜は2回戦で山口富士雄のいた高松商に敗れ[1]夏の選手権は2回戦で鹿島高宮崎昭二に完封負け[2]。同年の秋季近畿大会では決勝で浪商尾崎行雄を打ち崩して優勝し、3年次の1961年春の選抜への出場を決める。選抜では準決勝に進出するが、柴田勲のいた法政二高に敗れる[1]。1年上には後にプロでもチームメイトとなる大崎隆雄、同期には阪本敏三がいる。

プロ入り後

卒業後の1962年大洋ホエールズへ入団し、内野手に転向。2年目の1963年には第1回ジュニアオールスターに出場し、1965年には一軍に定着。同年は二塁手三塁手遊撃手として46試合に先発出場し、その後も俊足で内外野をこなせる準レギュラーとして、地味ながら長く活躍。1966年5月8日中日戦(川崎)では板東英二からサヨナラ本塁打を放ち、同年は36安打ながら12本塁打をマーク。江夏豊を得意とし、江夏はラジオ番組で「当時、年間で10本くらいしかヒットを打っていないのに、僕から6、7本打っている。給料は僕が払っているようなもんですよ」と語るほどであり、ここぞの場面で渋い1本を必ず打たれた記憶があり「今でも夢に出てくる」ほどである[3]Number405号(1996年11月21日号)で野茂英雄と対談した際にもよく打たれた相手として挙げ、その中でも、林にだけタイミング良く打たれ、林の当時の年俸は自分が払っていたようなものと言っていた。

1972年オフに日拓ホームフライヤーズへ移籍し、1973年に現役を引退。

引退後

引退後は京都に戻ってタクシー運転手に転身し、タクシー会社に勤務した後に独立した。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1962 大洋 1110000000000000010.000.000.000.000
1963 121091100010001000030.111.111.111.222
1964 2110000000000000000.000.000.000.000
1965 981991892049100471156311810365.259.289.376.665
1966 881951802536501277224660702372.200.238.428.666
1967 40565225200711120200161.096.130.135.264
1968 608982112240129111010600165.268.318.354.672
1969 7211198819705411300111100282.194.275.418.694
1970 4966626111111720000400221.177.227.274.501
1971 36454229200111201010190.214.250.262.512
1973 日拓 2313123000000200011011.000.077.000.077
通算:11年 4817867287815231123254651610132402316917.209.253.349.602

記録

背番号

  • 35(1962年 - 1972年)
  • 58(1973年)

脚注

  1. 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  2. 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. 江夏豊 現役時代の天敵に悪態「今でも夢に出てくる」

関連項目

外部リンク

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