栗栖天山
生涯
天保10年(1839年)8月10日、周防国岩国に生まれる。江戸の昌平黌で学び、慶応元年(1865年)3月、藩校養老館の助教に任用される。慶応2年(1866年)、同じく養老館の助教であった東沢瀉と共に、勤王の必死組(のち精義隊)を組織する。が、隊士の粗暴な挙動の責をとわれ、同年11月17日、沢瀉と共に柱島へ流罪となる。その後脱島し、所思を訴えるが同士の賛同を得られず、同年12月9日自害。なお、沢瀉はそのまま柱島に留まり、明治2年(1869年)秋、戊辰戦争での精義隊の活躍もあり赦された。
脚注
- 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.30
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.