桑田昭三
経歴
長野県下伊那郡鼎村(現:飯田市)生まれ。旧制中学校在学中に海軍予科練に志願し、敗戦で復員する。旧制上田蚕糸専門学校卒業後、14年間教員生活を送る。学生時代に統計学を学び、長野県や東京都の公立中学校の理科教員を務める(1950年4月~1963年3月[1])。
東京都港区立城南中学校に勤務していた1957年(昭和32年)[2]、進路指導のために学力偏差値を考案した。
学力偏差値の考案とその後については「学力偏差値#日本における誕生と歴史」を参照
その後、教育関連の出版社に転職したが、学力偏差値が当初の意図とは乖離した不本意な形で悪用されるようになったため1981年に退職。「教育科学研究所」を主宰し、臨床教育を研究、教育評論家として活躍した。
脚注
- 偏差値の生みの親・桑田昭三氏へのインタービュー (PDF)
- “なぜ日本は偏差値が嫌いなのに使い続けるのか 考案した元・中学教員が語った“生徒のために作った偏差値が悪者になるまで” (1/3)”. ねとらぼ (2020年3月4日). 2020年3月23日閲覧。
参考文献
- 「現代日本人名録2002」日外アソシエーツ
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