梅山聞本
梅山聞本(ばいさん(ばいざん) もんぽん)は室町時代の禅僧。
| 梅山 聞本 | |
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生年不詳 - 応永24年9月7日 (生年不詳 - 1417年10月16日〈ユリウス暦〉) | |
| 生地 | 美濃国 |
| 宗旨 | 曹洞宗 |
| 宗派 | 曹洞宗総持寺派 |
| 寺院 | 龍澤寺、総持寺 |
| 師 | 孤山至遠、太源宗真 |
| 弟子 | 傑堂能勝、如仲天誾など |
| 著作 | 『普蔵院規式』など[1] |
| 廟 | 梅山聞本禅師廟所 (龍澤寺) |
生涯
美濃国に生まれ、幼い時に律宗の寺に入る。その後、建仁寺の孤山至遠を師とし、更に、能登国の総持寺の太源宗真の弟子となって曹洞宗を学ぶ。[2]
永徳2年(1382年)、小布施義氏に乞われ越前に龍澤寺を開く。梅山は龍澤寺を曹洞宗総持寺派の北陸の根本道場とし[3]、傑堂能勝[4][5]や如仲天誾[6][7]など多くの弟子を育てた。
明徳元年(1390年)に勅令によって能登の曹洞宗大本山総持寺の十一世門首となる。晩年は総持寺内の龍華院にて静養し、応永24年(1417年)9月7日に入寂[3]。
将軍足利義満、義持の2代から篤く帰依された。義満は再三京都へ招いたが、梅山は南北朝の争いに巻き込まれることを警戒して遂に応じなかった[8]。義持からは義満の七回忌法要を勤めるよう何度も要請を受けた記録が残っている[9]。

梅山聞本の墓(龍澤寺)
龍澤寺では忌日に毎年開山忌を催し、本尊の開帳を行なっている。
脚注
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus 梅山聞本
- 福井県金津町教育委員会編『金津町坪江の郷土史』, 1985年, 347頁
- 福井県金津町教育委員会編『金津町坪江の郷土史』 , 1985年, 346頁
- 新潟県生涯学習情報提供システム
- 村上市観光協会
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus 如仲天誾
- 遠州三十三観音霊場めぐり 大洞院
- 福井県金津町教育委員会編『金津町坪江の郷土史』, 1985年, 344頁, 347頁
- 『福井県史』通史編2 中世(永平寺系曹洞禅の展開)
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