森家先代実録
編纂の経緯
赤穂藩主森忠哲は若年ながら学問を好み、先祖の事績を明らかにせんとして編纂が開始された[1]。忠哲は凡例などを作成させるなど意欲的であったが、文化4年(1807年)20歳で病死した。跡を継いだ実弟の美作守可睦(後の森忠敬)は兄の意志を引継ぎ、文化6年(1809年)に完成した[1]。そのため「実録」では森忠賛(赤穂前藩主)閲・森忠哲纂輯・森可睦追考という表現になっている[1]。
編纂は森可紀・各務正章・森正賀・森長清・森賛張・森可周といった赤穂藩重臣の統括によって編纂された。しかし、実務は儒臣村上中所(勤)らが中心となって行った[1]。森家家臣木村昌明の「武家聞伝記」をはじめ、藩庁・家臣の家に伝来する史料を集めて編まれた[1]。可睦は更に補遺の編纂を命じ、文化8年(1811年)に補遺2巻が完成した[1]。
脚注
- 森家史料調査会HP(先代実録紹介のページ)
- 歴博で「赤穂を治めた藩主」展 赤穂民報 2009年11月27日 2016年4月12日閲覧
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