森脇久仍
森脇 久仍(もりわき ひさのり)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。尼子氏の家臣。出雲国布部山城主。
凡例 森脇久仍 | |
|---|---|
| 時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
| 生誕 | 天文2年(1533年) |
| 死没 | 元和2年(1616年) |
| 別名 | 孫三郎 |
| 墓所 | 鳥取県日野郡日南町福万来 曹洞宗宝養山長楽寺境内 |
| 官位 | 東市正 |
| 主君 | 尼子晴久→義久→毛利元就→尼子勝久→吉川元春 |
| 氏族 | 出雲国造家庶流森脇氏 |
| 父母 | 父:森脇久貞 |
| 兄弟 | 久仍、神西元通正室 |
| 妻 |
正室:宇山久兼娘 継室:力石兵庫介娘 |
略歴
天文2年(1533年)、森脇久貞の子として誕生。尼子家中では中老衆を務め、「尼子分限帳」では、28,750石を給していた。
永禄9年(1566年)、月山富田城が落城し、大名としての尼子氏が滅亡すると毛利氏に仕える。永禄12年(1569年)から尼子家再興を図った尼子勝久に従い戦うが、天正3年(1575年)9月、因幡国私都城落城の際に降伏、毛利方の杉原盛重の仲介で吉川元春の家臣となる。
後に上洛し元和2年(1616年)、京で死去したとされている。
また、老後は伯耆国(現鳥取県西部)日野郡で過ごしたとも伝えられており、墓所は鳥取県日野郡日南町福万来にある曹洞宗宝養山長楽寺の境内にある。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.