楊謙
生涯
東晋に仕え、征西大将軍陶侃の督護に任じられていた。
咸和3年(328年)9月、陶侃の命により、石頭に拠る驃騎将軍蘇峻を攻めた。
咸和5年(330年)10月、成漢の大将軍李寿・征南将軍費黒が巴東・建平に侵攻した。巴東・建平を攻略され、巴東郡太守に任じられていた楊謙は、監軍毌丘奧とともに宜都へ退いた。
建元元年(344年)9月、成漢の将の申陽を撃ち、これを敗走させ、将の楽高を捕えた。
永和3年(347年)4月、先に反乱を起こしていた鄧定・隗文らが再び反乱を起こして成都に拠った。征虜将軍に任じられていた楊謙は涪城を棄て、徳陽に退いた。
脚注
- 『晋書』巻58, 周撫伝では、楊謹と記されている。
- 『晋書』巻8, 穆帝紀では、振威護軍と記されている。
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